魔法先生ネギま!感想(設定編) 魔法世界の少女たち

いい天気です。
これからちょっとだけ仕事をしてきます。帰ってきたらネギま!の感想を書くつもりです。今のところ二日に分けて書く予定です。


プログラマーという仕事をしているせいか元々そうなのかはわからないんだけど、俺は物事をなんとか単純化しようと考える傾向があります。複雑な物をそのまま受け止めるのではなくそこに法則性を見いだして一つのロジックにまとめるということをするのが好きですね。
魔法先生ネギま!という作品はものすごく複雑でものすごく緻密に考えられた漫画ですが、それをあえて単純化してみます。自分自身それでなんとなくしっくりきたので。


ではまた後ほど。


帰還しました。ふと思い立って六本木ヒルズから永田町まで歩いてみました。30分くらい。近い。歩いていると街の雰囲気がどんどん変わって面白いです。
乃木坂までは新しくできた道路って感じの道で、そこから赤坂の交番、初代赤ジョナからスマイルスプーンに変わったところの入り口あたりまでがおしゃれな感じの街、そこからは猥雑な雰囲気のある赤坂の街。赤坂って高級っぽいのにどことなく庶民的な香りがする街です。
TBSの立て替えが進んでいます。そういえばあの見るからに使いづらそうな構造の建物はどうなってるんだろ??まさかもう壊したって事はないよな。


今日は散歩にはいい陽気でしたね。


では予告通り

感想(設定編) 魔法世界の少女たち

魔法先生ネギま! (14) (少年マガジンKC)

魔法先生ネギま! (14) (少年マガジンKC)



今日から二回に分けて感想を書く予定です。今日は設定編と言うことで「データベース型」と言われるこの作品の設定についての感想を書きます。明日は物語要素の部分について書く予定です。もちろんその二つを厳密に分けることはできないし分けることに意味があるとは思えないのですが、なんとなく書きやすそうなのでこのスタイルにすることにしました。
今入手可能な単行本を全部そろえてからまだ数日しか経っていません。読みが浅いと思います。また、ハヤテのごとく!についての感想を読んで頂いた方は重々承知と思いますが、僕はずれていると自分でも思ってます。そんなずれた視点からの素の感想です。「世の中にはこういうことを読みとっちゃう人もいるのね」程度に見てください。


なお、書きながら登場人物の設定などを確認する際に魔法先生ネギま!研究所を参照させて頂きます。このサイトのような資料系のコンテンツは非常に苦手としておりまして、こちらなければ単行本を何度も何度もひっくり返して読まないといけなくなって書く時間が数倍
になってしまいます。この場を借りてコンテンツを作成した方にお礼させていただきます。



  • あざとさ



この作品を語るに当たって「あざとい」という言葉を避けて通ることはやっぱりできません。ありえないくらいあざといです。
もし僕がハヤテ感想七日目に書いたように、「萌え」の正体の一つが「細分化」だとすると、この話の設定は「萌えてください」といわんばかりのように見えます。
話の当初から31人の少女達が登場する、そしてそれぞれ外見も内面も個性的である(僕にとっては区別が付かない子がいるのは秘密です)さらに、登場人物の中には二面性を持っている人たちもいる。ネギま!を萌え漫画としてとらえると、登場人物の誰かに、あるいは誰かのどこかに引っかかればファンになる、そういう作りに見えます。
ほかにも、ハリーポッターを模したような世界、商品展開してくださいといわんばかりのカード、おじさんの僕でもきっちり色気を感じる露出(笑)、すざまじいあざとさです。


でもね、これって実はものすごくリスキーな設定なんじゃないかと思うんですよ。
この作品が新人漫画家の第一作だったら分かるんですよ。自分の全てを賭けて、あざといと言われようが読者に媚びていると言われようが売れるために必要と思われる要素は全部入れてみる、そういうことをするのは当然といえば当然。でも赤松健さんは違う訳じゃないですか。ネギま!以前にヒット作を出している。ということは、逆にこの「あざとい」設定で万一失敗した場合、受ける痛手が新人漫画家とは比較にならないくらい大きいわけです。
そして、いかに過去の作品で商業的に成功した漫画家でも、失敗作を書く可能性はあるわけですよ。週刊少年誌は商業的に成功しなかったらどんなにいい作品でも打ち切りにあってしまうわけですから。実際後述するように打ち切りリスクを承知の上で書き始めたんじゃないかとも思っています。打ち切りになってしまうかも知れない作品のために、不要になってしまうかも知れない人物設定を多数用意する。メーカーでいえば売れるかどうか分からない商品の開発に無謀とも言える開発費をかけるようなものです。リスクを負っているんですね。


おそらくこの作品を読んだ人のかなりの部分が「あざとさ」を感じると思います。僕の感想的にはしごく普通(普通っていうな)なんですが、ここはどうしても避けて通れないですね。


「あざとさ」はリスクである。僕はそう感じます。



  • 学年設定



ネギま!は中学二年の三学期から始まる話です。なぜこの年代なんでしょうか?


まず、なぜ中学なのか、高校ではいけないのか?そのことについて考えてみます。


その理由は少女達の「属性」にあると思います。大人びた少女と子供っぽい少女が同じクラスに混在する。その設定を比較的無理なく描くには高校よりも中学の方が良かったのではないか、そう思います。作中でも3時間目に風呂場で少女達が語っています。漫画だからいいっちゃいいんですが、最低限のリアリティを持たせるためには高校よりも中学なんじゃないでしょうか。


次に、なぜ三学期からなのか。


それがネギま!の「打ち切り対策」だったんじゃないかなと僕は思いました。もし人気が不発だったら三年に上がるところでこの漫画は終わりになったんじゃないかと思います。結果的にはその三年への進級でクラスメイトの一体感が育まれるという感じで連載は続いたわけです。どっちに転んでもうまく使える設定、それが三学期スタートだっんだと思います。


最後に、なぜ「二年の」三学期からなのか。


幸いにも人気があって、無事に三年に進級できた少女達、そして先生を首にならなかったネギ君。しかし三年になるということは後一年で中学生活が終わりを迎えるということです。設定上麻帆良学園は一貫教育を行っているようなのでそのまま高校に行ってもいいんですが、そうするとエヴァちゃんはどうなるのかとか、校舎が変わるからさよはどうなっちゃうの?とか、風香・史伽の双子はさすがにあれで高校生はどうなんだろう?とかいろいろ心配事はあります(笑)


そんなにたくさんの漫画を読んでいない僕ですが、学園物の漫画って「二年生」っていう設定が多いんですよね。ある程度人間関係ができていて人生の一大イベントが無い一年、それが二年生です。特に同じ一年を繰り返すパターンの漫画はそうですよね。僕の好きなうる星やつらも、子供の頃夢中で読んだど根性ガエルも、最近ではさよなら絶望先生も二年生です。ハヤテのごとく!もたぶん二年生を含むX年間。
例外的なのがその名も「三年奇面組」です。子供の頃ジャンプで一番先に読んでいました。ハイスクール奇面組の衝撃のラストもたまたま雑誌で読んだ記憶があります。今でも覚えているって事は相当衝撃を受けたんだろうな。単行本は持っていなかったのでどういう年月の処理をしていたのか気になっていたんですが、Wikipediaに出ていました。なるほど〜こだわりがあったんだ・・・


それはともかくとして中学三年ということはいずれ高校進学の話がでてきてしまうんですよね。となるとそのタイミングでこの作品は終了せざるを得なくなってしまうかも知れないんです。そもそも、繰り返す一年を描くパターンの漫画ではないのですが、物語的な側面から考えると三年生といういろいろと難しいお年頃を舞台に選んだのはなぜなのか?興味はありますね。いちおう答えは用意してみましたがね・・・



  • イベントドリブン



ネギま!は基本的にイベントドリブンという構成です。スポーツ漫画、マガジンでいえばはじめの一歩と同じような構成です。イベント(試合、バトルなど)があって、そのつなぎでその作品の作中世界の中での日常生活が描かれる。そのイベントをクリアすることによって登場人物が成長したり、人間関係が変わったり、謎が解けたり、新たな謎が生まれたりします。少なくともここまでのネギま!はそういうシンプルな展開のように見えます。(正直これはベタ過ぎないか?という展開もありますね・・・)



  • 世界観



魔法先生ネギま!を読むと「魔法世界」と「一般世界」の対立構造的な物が見え隠れしています。たとえば魔法がばれるとオコジョにされるとか、裏の世界は危険がいっぱいとか。
でも、この作品で描かれる世界は一つだけ「魔法世界」のみであると僕は感じています。その理由は舞台となる麻帆良学園です。この学園自体が「魔法世界」の一部にあるからです。つまりクラスメイトの少女達は、ネギ君が学校に赴任してきたことによって「魔法世界」と関わりを持ったわけではなく、この学校に通いはじめた時点で「魔法世界」に組み込まれてしまっているんですね。しかも、ヒロイン(と思われる)明日菜も含めて、本人達は気づいていないけれど実は魔法世界との関わりが非常に深い少女がたくさんいる。
31人のクラスメイトは「魔法世界の少女たち」なんです。
ネギ君や他の魔法使いは、まだ自分たちのことを「魔法使い」として認識していない人にそれがばれることを恐れていますが、学園内である限りばれても全く問題ないという設定だと思われます。
この作品ではあたかも結界が張られているかのように「一般世界」のことが描かれていません。ここまでで一番「一般世界を描いているな」と思ったのは14時間目です。あやかに裏設定が無いとは言い切れないので、「ここまでで」という但し書きははずせません。
超がやろうとしていることは「学校中にバラす」ではなく「全世界にバラす」なんですよ。学園内だけにバラすことには意味はないんですよね。この学校自体既に結界の中なんですから・・・
「魔法世界」と「一般世界」。この作品ではほとんど描かれないであろう一般世界。実は9巻から14巻までを読む前に注目していた少女が二人いました。一人は和美、もう一人は夕映です。二人とも一歩引いたところからネギ君達が魔法使いであることを認識していました。しかし、夕映はあんなことになっちまって・・・(笑)変わりに千雨とパルがそのポジションに収まったと言えないこともないけれど、夕映のキャラだからこそ生きてくる話があると思ってたんだよな。とかこんな僕でも思ってしまうのがネギま!。いつのまにか登場人物の誰かに肩入れしてしまう。わかっていてもやられてしまいました(笑)


夕映の話をもう一つ。彼女は今のところ魔法世界と関わる裏設定が明かされていません。なのに、驚くべき事に魔法をマスターしています。これは魔女っ子物としてはエポックメイキングな事だと思います。「努力によって魔法は使えるようになる」ってことです。まるでスポーツのようです。木乃香は作中で膨大な魔力の存在が示唆されていますが、その彼女と同じ期間で同じ魔法を一般人が習得しているわけですから。もし裏設定が無ければですけど、この一点だけでもネギま!は印象に残る作品になるでしょうね。



  • バイキング



例によって散漫な文章になってしまいましたが魔法先生ネギま!の設定面からの感想のまとめをします。


魔法先生ネギま!はバイキングである。


ベタですいません。。。しかもまとめていないじゃん。


だってさ、和洋中そろってるんだもん。昭和40〜50年代に子供時代を送った俺にとっては夢の「和洋中食べ放題バイキング」です。いや、漫画は食べ放題じゃないけどさ(笑)
西洋と東洋の対決軸ってのが描かれていますが、むしろ西洋と日本って感じなんですよね。そこに中国武術と謎の中国人がからんでくる。和洋中です。ほんとうにありがとうございました。


何も考えずに書いたらベタベタなまとめになってしまいました。今日はこの辺で。明日は無理矢理物語に押し込めて感想を書きます。


おやすみなさい。