涼宮ハルヒの憂鬱と時をかける少女の類似性

誤解を招くサブタイトルにしました。
正確には「『涼宮ハルヒの憂鬱』という小説が含まれるシリーズと『時をかける少女』という本に収録されている小説との類似性」です。
収録作品のタイトルを直接書いてもわからんのでこういうサブタイトルにしてみました。
今日は金曜日ということもあるのでちょいと長めです。涼宮ハルヒの憂鬱に興味がある方は最後の方までスクロールしてから読むかブラウザで文字列検索して読んだ方がよいです。
なんて自己中心的な日記なんだ(笑)まぁ日記だから自己中心的であたりまえなんだけどさ。


2011/8/22 追記
書いてから5年も経つというのに未だにこの適当な感想文を読みに来る人が多いので、もう一度読んで読書感想文の参考になりそうな記事を書いてみました。




『時をかける少女』 時をかけるせつない物語

時をかける少女 〈新装版〉 (角川文庫)

時をかける少女 〈新装版〉 (角川文庫)

時をかける少女は、テレビドラマ、映画などで何度も映像化されていますが、原作は中編あるいは長めの短編小説です。この作品一つだけで一冊の本になるような分量ではありません。筒井康隆作品としては異例な子供向け作品(あるいは子供でも安心して読めるといった方がいいでしょうか)三作品がまとまって一冊の薄い本になっています。
それら三つの作品には作品それぞれに関連性はありません。ですから、感想文も三つの作品それぞれ個別に書くことにします。

時をかける少女

俺的には抵抗がある言い方なんですが、おそらく筒井康隆氏が著した作品の中でもっとも多くの人に知られ、もっとも多くの人に読まれている作品でしょう。
前に読んだのは少なくとも十年以上前。おぼろげには覚えていたのですが・・・記憶ってのは不確かな物です。かなり新鮮に読めました。記憶違いも多々ありました。記憶だけで感想を書いてはいけないなと改めて思いましたね。
再読して思ったのは、こんなに切ない話だったかなぁと言うことです。高橋留美子さんは筒井康隆ファンですが、時をかける少女をもう一度読み返すと、うる星やつらのラストへの影響がかいま見られるような気がします。それほど珍しいプロットではないのでしょうけれど・・・
この話の主人公は実はラベンダーなのではないか、そんな感想を持ちました。
約40年もの間生き残り、読み継がれている作品です。もはや古典、しかし現代人の心にも響く普遍的なテーマを扱う古典といってもいいのかもしれません。

悪夢の真相

筒井康隆らしい小説です。子供向けといっても微妙な毒があります。そしてテーマが夢。まさに筒井康隆の世界です。この小説を読んだ記憶がありませんでした。読んでいることは間違いないんですけれど・・・
なんか、短編なのに京極夏彦氏の長編作品の雰囲気を感じる不思議な話です。

果てしなき多元宇宙

短編です。しかしこれがね・・・新カテゴリーを起こさざるを得ない気分にさせたのよ。困ったことに。。。

よく似た設定のお話

しみじみと思う。偶然だと信じたい、と。

涼宮ハルヒの憂鬱』からの引用です。
この短編を読んで俺もそう思いました。偶然だよね。このタイミングでこれ読んだの?


『果てしなき多元宇宙』と『涼宮ハルヒの憂鬱』は全く違う物語です。基本設定も、主人公が置かれた立場も。分量も。でも、2006/7/2の日記に書いたことを強烈に思い出しました。

この小説でえがかれている世界は涼宮ハルヒという少女の心が作り出した世界である。こういう設定もどこかで読んだことがあるような気もするが、これといって指し示すことができないのでこれも俺の妄想なのかもしれない。

妄想ではなかったのかもしれません。筒井康隆ファンと自称していながら『果てしなき多元宇宙』という作品のことは記憶の片隅にすら残っていませんでした。しかし、これってそういう話も内包されているんですよ。潜在意識にこの作品のことが残っていたのかもしれません。
こういうこと書くと営業妨害ですが、本屋で余裕で立ち読みできる分量です。アニメ映画化の件があるので在庫もあるはずです。読んでみてください。


それにもびっくりしたんだけど、もっとびっくりしたことがあります。


時系列的には「時をかける少女」を買ってから「涼宮ハルヒの溜息」を買いました。でも読む順番は逆でした。
涼宮ハルヒの溜息」を読んだ後、ちょっとした感想を持つことができたので次の週末、週中はハヤテのごとく!に忙しいので・・(笑)、ここに感想文を書くことに決めました。
そして、「時をかける少女」を読みました。
その中の一編に週末書こうと思っていることとかなりかぶったことが書いてあるような気がしました・・・
小説って言うのは新聞記事とかとは違って、読む人の経験や心持ちで別の姿を見せる物だと理解はしています。だから、俺がそう思っている状態で読んだからそう見えるという考え方をすることもできます。逆にもしかすると、かつてこの作品を読んで心のどこかに残っていたから「涼宮ハルヒシリーズ」に今度書こうと思っているような感想を持ったのかもしれません。そうだとすると、俺は本当に脳みその奥まで筒井康隆にやられているんだろうな。


時をかける少女」が最初に出版されたのは1967/3/20とのこと(筒井康隆公式サイトの著書目録より)。なんかねぇ40年くらい前に今の俺の心を読まれていたみたいで怖いですよ。
この作品で描かれている状況ってのは別に珍しい話ではなく、むしろ普遍的な話なのかなとも思います。いや、思いたい。普遍的な物だから、偶然たまたま時を同じくして俺がこの二つの作品を相次いで読んだということにしたい。


正直かなりびびりました。


今日はこの辺で。おやすみなさい。
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