『涼宮ハルヒの溜息』から推測するシリーズエンディング

涼宮ハルヒの溜息 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの溜息 (角川スニーカー文庫)

いままで、『ハヤテのごとく!』『魔法先生ネギま!』『ハリー・ポッター』とエンディングあるいは展開予想的なことを書いてきました。それら今まで予想を書いてきた作品に対する俺の印象と『涼宮ハルヒシリーズ』に持っている俺の印象には根本的に違うところがあります。
ハヤテ、ハリポタは作者自身が「終わりがあること」を明言しています。ハヤテの場合は終わりがあること自体が驚異であり、またそこにたどり着けない可能性も高いのですが作者の意図としては終わりがあるということに間違いはないです。ネギま!の場合は終わりがあるかどうかはともかくとして、「これが解決すればきれいに終われる。逆に解決しないで終わると宙ぶらりんな感じになる」という条件があると感じています。
しかし、涼宮ハルヒシリーズについては、『憂鬱』『溜息』と読んで、さらにアニメを見た今の状態では、明確に終わりがあると言い切れるだけの材料がないです。もしかすると作者は日常的な非日常世界(Old Dancer's BLOGを読んで思いついた表現なのでトラックバックさせていただきます)なモラトリアム状態をいつまでも続けるつもりなのかもしれません。
しかし、小説上では『溜息』で初めて登場するある人物の存在意義を考えると、ある終わりを目指しているのかもしれないと思ったわけです。
追記:もう一つ違いがありました。前述の三作品については、その時点で入手可能な全ての作品を読んでから書いてますが、涼宮ハルヒシリーズの場合は『憂鬱』『溜息』とテレビアニメだけがオリジナルの情報ソースです。シリーズを読み進めていくと全然違っていることが明らかになる可能性が高いですがあえて書いてみたくなりました。




『憂鬱』の感想文ではあらすじを書きましたが、書いていて異様につらかったので今回はやめます。すでに小説を読んでいるかアニメを見ているという前提で書くことにします。『溜息』はアニメの第一話を別の切り口で語った小説になります。
『憂鬱』は『憂鬱』のラストシーン、主人公キョンハルヒを待っている時点で語っているような印象があります。『溜息』はどちらかというとリアルタイムに語っているような印象を持ちました。しかし、この作中人物一人称ってのは危険ですな。取り込まれるよ・・・
『溜息』では、涼宮ハルヒという少女の思いにより世界が変わるという部分がより強調してえがかれています。ちょっとした思いつきが、俺が言うレベル4の世界(作中世界)をぶっ壊しかねない危うさってのが、虚構としてのこの小説の面白さなんじゃないかな。決してそういう世界ではないということを言っている作中人物もいますが、彼女自体が涼宮ハルヒという少女の思いによって生み出されたという設定に見えるので今のところその言葉は保留しています。


さて、この小説のハイライトシーンは

「あたしが決めたの。みくるちゃんはあたしのオモチャなのよ!」

と言い放ったハルヒキョンがぶち切れてぶん殴ろうとしたシーンでしょう。幸か不幸か古泉一樹に止められたわけですが、もしこのときキョンハルヒを殴っていたらどうなっていたのだろう?と思います。『憂鬱』のラスト同様に別の世界を構築するんだろうなとは思いますが、そこにキョンは存在するのだろうか?
存在すると俺は思いますね。それがキョンの存在理由。何言っているかわからないですね(笑)
ちょっと脱線します。
恋物語という視点でこの作品を見ると、ハヤテ同様、ボーイミーツガールではなく、ガールミーツボーイであるという印象を持ちました。
少年が少女の出会うと言うよりも、少女が少年に出会う物語です。で、たぶんそういう構成の方が男心を刺激するんじゃないかと(笑)ある意味逆白馬の王子様的な物語です。


そろそろ本題にかかりましょう。その前に、2006/7/2に俺が書いた、この作品世界のレベル分けを再掲します。

レベル5   作中作
レベル4   この小説でえがかれている世界
レベル3   考えていることを現実にする力を持つ少女、涼宮ハルヒの世界
レベル2   考えていることを現実にする力を持つ少女、涼宮ハルヒを想像した何者かがいる世界
レベル1   作者や俺たちが住む現実世界

あってるか間違っているかはともかく、この先の話はこのレベル分けを基本にしています。
この小説で初めて登場した重要人物は誰か?それは鶴屋さんです。みくるの同級生で人生を楽しんでいる少女です。マインド的にはハルヒに近い、面白いことが大好きで面白いことを常に求めている少女の様に見えてなりません。「特殊能力を持たないハルヒ鶴屋さん」みたいに感じるのです。
鶴屋さんの存在がこの後のハルヒの行動に多かれ少なかれ影響を与えて行くのではないかと思います。
涼宮ハルヒシリーズ』を終わらせるのに簡単な方法があります。それはハルヒから特殊能力を奪えばいいのです。単なる学園ラブコメになります。それはそれで読者が付くかもしれないけれど、このシリーズとは別のお話でしょう。
ではどうやって特殊能力を奪うのか。
それは、
涼宮ハルヒ」が自分の意のままにならない世界が面白いということに気づき、意のままにならない世界を望む
ことにより実現します。ハルヒは今、自分の意のままになる世界にそうとは知らずに生きています。そして、実際には自分の意のままになるにも関わらず意のままにならないと感じています。ハルヒが面白くない日常を送っているのは実は自分の思いが形になってしまっているからなんだということに気づいていない。
その唯一の例外が主人公キョンです。彼はハルヒの意のままにならない。逆に言うと意のままにならないからこそハルヒキョンに関心を持っているという言い方もできますね。鶏と卵どっちが先かという話になりますが。ああ、そういやその話は結論が出たっていうニュースがあったなぁ。一つ慣用句が減ったのか・・・
話を戻します。で、ハルヒに「意のままにならない世界が面白い」ってことを気づかせる、ちょっと違うな、そういう世界だと言うことを気づかせるためにハルヒが創造した登場人物が鶴屋さんなんじゃないかなと思ったんですよ。
実際にコントロールできないキョンから気づかされるのではなく、自分の潜在意識が創造した人物から気づかされる方が自然じゃないですか。


そして、ハルヒが自分の意のままにならない世界を望むと、自分の思いを現実に変える能力を持つ少女という初期設定が変わります。となると、俺が言うレベル3だけでなく、自分の思いを現実に変える少女涼宮ハルヒを想像しているレベル2もいきなり無くなって、この作品はレベル2の世界をえがいた普通の虚構になるんですよね。その普通の虚構を愛する読者も当然いるとは思いますが、それを『涼宮ハルヒシリーズ』と言っていいのかどうかってのはちょっと疑問です。やはりレベル2に降りた時点でこの物語は終了なんじゃないでしょうかね。


この作品の構成を考えると、語り手である主人公キョンハルヒによって創造された人物です。ハルヒはたぶん自分がコントロールできない人物の出現を願っていたんです。コントロールできる人物には興味はない。だから、それを試すために誰とでもつきあうけれど、すぐに別れるということを繰り返していたんじゃないかなと思います。コントロールできない人間を振り向かせたい。それもまたハルヒの願望であるわけですが、ハルヒが今のハルヒである以上、振り向いた瞬間にその人物から興味を失ってしまいます。
ハルヒは思いを現実にする能力がある。速く走りたいと思えば早く走れる。なんでもうまくいく。でも、うまくいかない物を求めている。だから全ての部活に仮入部してうまくいかない物を探したんじゃないかなと思いますね。
この作品を読むといろいろとパラドックスがあってね。ちょっと混乱する。


例によって長くなってしまいましたが、最後にもう一度結論を書きます。


涼宮ハルヒシリーズ』は、「涼宮ハルヒ」が自分の意のままにならない世界が面白いということに気づき、彼女が意のままにならない世界に住むことを望んだ時に物語の終わりを迎える。



カテゴリ 読書感想文
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やっぱ事前にテキスト書いとかないとなかなかうまくいきませんねぇ。確変中にアップロードしようなって言う貧乏根性出さない方がよかったかもね。

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