『涼宮ハルヒの暴走』 どの当たりが暴走なの?

涼宮ハルヒの暴走 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの暴走 (角川スニーカー文庫)

悩みましたが素の感想を書くことにします。読んでがっかりする人も多いかもしれません。


この本も中・短編集なので、その構成と収録作品のあらすじ、感想から書きます。内容については極力触れないようにしますが、触れないと語れない部分もありますので未読の方はご承知おきください。
それぞれの小説に枕となる短い序章がついています。それについての感想はスルーします。

エンドレスエイト

世間一般の高校生同様、課題を後回しにして夏休みを満喫する主人公キョン。しかし、ヒロイン涼宮ハルヒはもっと夏休みを満喫をしたかった!やりたいことをリストアップして全て片づけることをハルヒが作ったサークル的なもの、SOS団のメンバーに要求する。
プールに行き、盆踊りに行き、昆虫採集に行き・・・まるで小学生のような夏休みを楽しむ面々。しかし、キョンはなんとなく既視感を感じる。そして、ある日SOS団構成員の一人、未来から来た少女朝比奈みくるキョンに泣きながら電話をかけてくる・・・


これは・・・あの、後に原作者によって完膚無きまでに否定された「ビューティフル・ドリーマー」ですか?
それ以外にも同じプロットの作品はあると思われますがすぐに思いつくのはそれ。にしても、ちょっとねぇ・・・続きはあとのまとめに書きます。



射手座の日

SOS団によって(というかハルヒによって)最新のPC機材を奪われたコンピュータ研究会がゲームを作った。そのゲームを使ってコンピュータ研究会が勝てば機材を返却するという勝負を挑んだわけだが、ゲームには細工がしてあった。そこでSOS団の誇る超科学宇宙人長門有希が活躍し・・・


この作品ではハルヒはわがままな普通の女の子になってます。普通じゃねーか・・・。有希の活躍が消失に微妙につながっているんだろうな。



雪山症候群

夏休みに続き冬休みも合宿をすることになったSOS団。都合良く、みくるの友人である鶴屋さんの別荘を無料で利用できることとなった。その功績により鶴屋さんはSOS団の名誉顧問というありがたいのかどうかわからないような肩書きを手にした。
夏合宿同様、SOS団の誇る超能力少年、古泉一樹が所属する「機関」の関係者による推理ドラマが催される予定になっていた。今回は全員にフィクションであることを事前に伝えてある。
しかし、事態は意外な展開を見せる。スキー場で吹雪に巻き込まれたSOS団主要構成員5人、ハルヒキョン、有希、みくる、一樹は、謎の館に誘われ、そこから出られなくなってしまうのだ。


スキー場で吹雪いて視界が無くなるとマジ怖いですよ。リフトの支柱があるゲレンデではそれを目安に降りていくしかない。第一楽しくないし・・・
この館、ハルヒが作ったんだろうか???



まとめ

まずは、ここまで読んだ俺が考えているこの作品の虚構世界を書いておきます。

レベル5   作中作
レベル4   この小説でえがかれている世界
レベル3   考えていることを現実にする力を持つ少女、涼宮ハルヒの世界
レベル2   考えていることを現実にする力を持つ少女、涼宮ハルヒを想像した何者かがいる世界
レベル1   作者や俺たちが住む現実世界

揺らぎますね。この一冊でかなり揺らぎました。


もし仮に俺が涼宮ハルヒシリーズとこの一冊から出会ったとしたら、読もうとは思わなかったかもしれない。この一冊を読む限り、ネット上でもそこそこ多数ある批判的な言説、「この作品世界はキョンという少年、あるいはキョンと自分を重ね合わせる読者が妄想する世界である」という意見は正しいと思う。
キョンの妄想により涼宮ハルヒは自分の思いを現実に変えることができ、宇宙人、未来人、超能力者はハルヒとは独立して存在する、そう考えるのが自然。
エンドレスエイトで、夏休みにやるべきことができていないのはキョンなんですよね。そのキョンの苦境をハルヒが知るという部分がえがかれていない。もしそれがえがかれていれば全く違う感想になるんですけど。
今までとのつなぎを無視して考えると、まるでキョンがやり残したことがあるってことだけが理由になって夏休みが繰り返されているみたいです。ハルヒが自分で夏休みの課題が終わっていない団員がいることに気づくとは、作中表現を見る限り思えないです。ハルヒが気づいていないのになぜハルヒの力が発動して夏休みが繰り返されるのか、それはハルヒの行動を制御しているのはキョンだからという結論になってしまいます。
他の作品についてもハルヒキョン以外の人物の意志がレベル4に存在することが示唆されています。今までの俺の言説によると、レベル4のキョン以外の人物の意志は全てレベル3のハルヒの意志と考えることになるので、レベル4のハルヒとレベル3のハルヒがここでは分裂することになります。


余談ですが・・・
涼宮ハルヒシリーズを読み始めて「まほらば」の裏返しだなと思ったんですよ。あの作品ではヒロインが分裂しているわけです。ヒロイン以外の人物は作中で統合されている。涼宮ハルヒシリーズの世界では、逆にヒロインとキョンだけが統合されていて、それ以外の人物は、作中ではえがかえることはないけれど、それぞれのレベル4の世界で分裂しているんじゃないかなと思ったわけです。


感想を書いていて、このシリーズ全体がキョン、そして彼に感情移入する読者によって妄想された世界と考えた方が全然楽なんですよ。でも、その考えは極力とりたくない。それは俺のわがままです。なぜかというと、そんな話ならいたるところに転がっている。それ以上の何かがあるからかなりの人気を得ていると思いたいんですよね。
常々書いているように、ある「商品」がヒットするためには、その商品自体が他の商品より優れているということも大事だけれど、売り方、言葉を換えるとマーケティングも重要であるということはわかっています。むしろ商品自体には特筆すべきことが無くても、マーケティング次第で売れてしまうものが少なからず存在することを知っています。実際この目で見ているし。
でも、そうは思いたくない自分がいるわけです。売れている以上、なにかしら隠された魅力があるはずだと。いい年して夢見がちですねぇ(笑)


この日記の中で、世間的に売れているもの、主に小説について過去にいくつか取り上げてきました。その中には「どうしてこれが売れるの??」としか思えない物もあって、なんとかその裏の魅力を見いだそうとして苦労したけれどやっぱ無理だったものもあります。
そういう中で「涼宮ハルヒシリーズ」は筒井康隆作品に慣れ親しんだ人間からすると比較的裏が読みやすい作品で、今までポジティブな感想が書けました。
しかし、『涼宮ハルヒの暴走』についていえば、ちょっと厳しい。言葉尻をとらえると、どのあたりで暴走しているのかわからん(笑)
こういうところにシリーズの感想を書いていなければ、シリーズの次作品は読んでいないかもしれません。しかし、乗りかかった船だし、折り返し点を過ぎていることだし、あと3冊?週一で読んでいきます。もしかするとこのあとまた考えが変わるかもしれないしね〜。


珍しくネガティブな感想文になりました。普段はネガティブな感想をもったら、そもそもここに書いていないだけで、決してどんな作品でも手放しでほめるわけじゃないってことで一つよろしく。




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記事カテゴリー 涼宮ハルヒシリーズ


カテゴリ 読書感想文
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