短期集中連載 ぼくの大好きな首都高速道路(4) 夢の道 中央環状線

ぼくにとって中央環状線が夢の道だった時代は確かにあったんだ。


ぼくが運転免許を取った頃、首都高は地獄だった。特に箱崎。悪名高き箱崎。そして江戸橋。高速道路なのに信号がある江戸橋。首都高は「機能していない道路」の代名詞だった。
そんな使えない道だった首都高があるとき大きく変わった。そう。中央環状線だ。


中央環状線ができた時、これで高速道路を使うことができるようになった!とぼくは思ったんだ。箱崎は通らなければならない。でも、両国はパスできるようになった。それだけでもずいぶん気持ちは違う。
夜の中央環状線は本当に気持ちよかった。葛飾ハープ橋をちょっとだけがんばって、今だったら鼻で笑われるようなスピードだけれど、それでもがんばってアクセルを踏んで、FFとFRの違いで車の挙動が確かに変わることを確認してみたりもしたんだ。もし、今の車でそのスピードで挙動が変わるようだったら欠陥車呼ばわりされてしまうかもしれない。それが原因で事故が起こったらメーカーの責任が問われてしまうかも知れない。でも、その当時は車がそういう挙動をすることは当たり前のことだったんだ。そういう挙動をすることを知らないドライバーの方に責任があると思っていたんだ。今はなんでも、とは言わないけれど大概のことを他人のせいにできる。いい時代になったものだなぁ。ぼくはそうは思わないけれどね。


中央環状線の次にできたのが八潮連絡線だった。あの道ができて、ぼくが東京港トンネルを通る機会が格段に増えた。東名高速道路に乗るのに四つ木から乗って葛西八潮経由で環状線に行くことが出来るようになったんだ。


でも、一番インパクトがあったのはなんといってもレインボーブリッジだ。下り箱崎の渋滞はほとんど気にならないレベルにまで減った。使えない道が使えるようになった。衝撃を受けた。ああ、レインボーブリッジって千葉の人のために作ったんだなと思った。
12月のある時期を除いてね…


中央環状線環状線といいながら環状機能を持っていたのは堀切から葛西までの区間だけだった。できてからしばらくして船堀と平井大橋にインターができ、平井大橋の上に信号がついて心底がっかりもしたけれど、それ以上にがっかりしたのは日常的に渋滞するようになってしまったことなんだ。
今の中央環状線は夢の道じゃない。頻繁に渋滞するごく普通の首都高だ。


江北JCTから板橋JCTまで伸びて北側も一応環状らしい格好になってきた。それでも東京都心を快適にスルーできる道にはまだなっていない。




そんな中央環状線が明日延びる。熊野町から新宿まで伸びる。首都高の車線が書いてある地図を立ち読みしたらなかなか思い切った車線切りをしていてどうなるのか楽しみだ。
中央環状新宿線。もしかするとその新しいC2は夢の道でいられる期間はないのかもしれない。でも。三宅坂や竹橋、そして江戸橋と箱崎の混雑は少しだけかも知れないけれど緩和されるはずだ。


ぼくにとって中央環状線が夢の道だった時代は確かにあったんだ。

首都高速便利ガイド 3版 (GIGAマップル)

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