小児化する社会

最近、というわけでもないです。私が物心ついた頃にはすでにそうなりはじめていたのかもしれません。社会全体がどんどん小児化しているように思えてなりません。




ニュースなどをみるにつけ、そして、ネットでの言説も決して例外ではなく、小児的な行動が目につきます。その特徴をいくつか挙げます。
一つは小児的潔癖さです。
本来、目的を達成するために定められたはずのルールを、それ自体を守ることが目的化したような行動です。始末が悪いことに、その行動にはなんら意見をすることができないのです。正しい行動であることには間違いないのです。そう言われたら黙るしかない、そういう潔癖さなのです。具体例を挙げると、その具体例に対する小児的潔癖さをいかんなく発揮し、意味のない小児的な議論に終始してしまう可能性があるのでやめておきます。
ルールは守らなければいけない。そのことに反論する余地はない。しかし、そのルールに縛られて、本来の目的を見失ってしまうのはどうなのか?ルールを守ることと目的を達成すること、そのどちらが大事なのか?
そして、その潔癖さは発揮される場面が人それぞれ違います。ある人が許容できることが他の人には許容できないと言うことはよくあることですし、ある部分では非常に厳密な潔癖さを求める人が、他の分野ではむしろアウトロー的な行動を取ることだって有ります。それは決して非難されることではないと私は思いますね。それが人間ってものでしょう。もちろんそうでない人だっているでしょうが、それほど多くはないと思います。
様々な人の基準をすりあわせると、どうしても厳しい方に合わせなければならなくなってしまいます。結果的に小児的潔癖さで支配された社会は、窮屈に感じてしまうのです。


もう一つ挙げておきたいことがあります。
小児的ずるがしこさです。
自分は悪くない。自分には責任はない。悪い人は他にいる。責任を取るべき人は他にいる。自分が悪いのなら他の人はもっと悪いじゃないか。
こちらも、反論が非常に難しいです。言っていることはまさにその通りですから。
しかし、だからと言ってなんでもかんでも人のせいにすれば良いって物ではないでしょう。たとえ自分が悪くなくても、自分が工夫をすることで良い方向に持っていくことはできる。小児的ずるがしこさを発揮する人々はそれをしない。面倒だからなのかそこまで考えが至らないからなのかわからないけれどそれをしない。




小児的潔癖さ、小児的ずるがしこさとも、それはそれで理屈の上では正しいという一面があるだけに始末が悪いです。
小児化する社会を居心地よく思う人々はこの流れが止まらないように気をつけなければならないでしょう。しかし、私には決して小児化する社会が良い社会だとは思えません。