読書感想文 天藤 真 著「大誘拐」

かなり久しぶりのような気がする小説の読書感想文です。2つネタはあるのですがまずは自分が好きなジャンル、推理小説的な作品から書くことにします。


名作といううわさを聞いていましたが実際に読んでみたら名作でした。

大誘拐 (角川文庫)

大誘拐 (角川文庫)





推理小説的と書きましたがこの小説は推理小説というより犯罪小説。ルパン的な犯罪者が主役の小説です。いかにうまく相手を出し抜き目論見を達成するかという興味はもちろんのこと、それ以上にいかにかかわった人全員が損をすることなく結末を迎えるかというところに主眼が置かれているところがとても面白いです。不利益を被ったと言えるのは警察官と国だけであり、それ以外の人は100億円という莫大な身代金をまんまと略取されたにもかかわらず、長い目で見ればむしろ利益を得たという結末には驚かされました。
推理小説的な作品というのは物語としては非常に難しいのかなと感じています。ある程度現実に即していないとリアリティがなく入り込めないが、あまりにもリアリティを求めると物語としては面白くないものになってしまう、そのさじ加減が非常に難しいのかなと感じています。
そういう意味でこの作品は、ある程度リアリティを切り捨てても面白い作品、いわばファンタジーを描いていると感じます。
ありえないくらいの大金持ちでありえないくらいの人格者がありえないくらいの能力を持ち、偶然訪れた「チャンス」を最大限に生かして、思い残すことなく余生をおれるように種まきをする。正直、身代金受け渡しのトリックや潜伏先の選択の現実味には疑問を抱きますが、それはもうこの物語を成立させるためのやむを得ない舞台装置として納得します。
そして、この作品の登場人物には本当の意味での悪い人がいない。
誘拐を企てた三人はむろん犯罪者ではあるのだけれど、そのうち二人は金銭的な欲求に惑わされず自分にとっての幸せをしっかりみすえて欲張らない。残った一人もまんまと手に入れた現実離れした大金をいたずらに浪費するのではなく、まずはその使い方を勉強するところからはじめるという手堅さを持っている。憎むべき犯人、という人物像からは遠く離れています。行儀のよい犯罪者なんですよね
その三人をコントロールする人質と、人質に恩義を感じていて敬意を持って接する周囲の人たちからも悪意はまったく感じられません。驚くべきは端役で出てくるアメリカの軍人ですらステレオタイプと言ってもいいくらいのいいやつです。
いい人ばかりの小説というのは面白みにかけることもあるけれど、この小説ではそれはもう作品の色として確立しているように思えます。


推理小説では無いと言っても謎解きものではあるので作品に関する直接の感想はこのくらいにしましょう。もうずいぶんネタばらしをしてしまいましたが細かいところは読んでみてのお楽しみということにしたいです。
最後に少し違う視点での感想を書いてみます。


この作品の舞台は和歌山県です。この作品の舞台として選ばれるべくして選ばれた、というかここしかないというところが和歌山県ではないかなと思ったんです。
海に囲まれた半島性と他県とは急峻な山道で接しているという地理的条件が無いとこの物語は成立しえない、たとえば同じ半島でも千葉県を舞台にしたらこの作品は描けないのではないかと思いました。


面白かったです。