筒井康隆はなぜ「異色作」が売れるのか

「旅のラゴス」が売れてるらしいです。

旅のラゴス (新潮文庫)

旅のラゴス (新潮文庫)

なぜ今さらという感でいっぱいです。
確かこの本が出版された時のキャッチコピーは
「物語を破壊し続けた筒井康隆が構築した強靱な物語世界」
「筒井流超能力」
とかいうものでした。


それにしてもなんで筒井康隆作品は「異色作」が売れるのでしょうか?




ってなタイトルと書き出して始まる記事は大概もっともらしいことを語って最後に何となく納得するような結論で〆るのが様式美ですが、これを書いている今、全く結論らしいものは思いついていません。書きながら考えていますけれどそもそもこのネタって前に書いたような気がしてきました。もしそうだとしても前に書いたのと違う流れになるかもしれないのでどうせ暇だし書いてみます。


筒井康隆の小説で一番有名で読んだことがある人が多い作品は「時をかける少女」であることに異論を持つ人は少ないでしょう。読んだ人はおそらく文庫で100ページ程度の作品であることに驚き、同じ作者の他の作品に手を伸ばしたときには落胆してしまう人も多いのではないかと想像しています。
時をかける少女」は他の筒井作品とあまりにも違いすぎます。目に見える形での毒やグロさがありませんし仕掛けもありません。読み込める人にはもしかするとあの美しく見える物語の中にもそういう筒井康隆らしさが読み取れるのかもしれませんが、私には何度読んでも「他の作品とはあまりにも違いすぎる」としか思えない小説です。
それに対して「旅のラゴス」からはそれらの筒井風とでも言うような設定が散見されて、筒井康隆に慣れた人が読んでも、慣れない人が読んでも楽しめる作品になっているのかと思います。
筒井康隆の小説には「合う」「合わない」がはっきり分かれる作品が多く、そもそも作者に「合う」「合わない」というのもはっきり分かれるのでしょう。
「旅のラゴス」という小説は「時をかける少女」ほどではありませんが、筒井康隆に合わない読者も楽しめる作品であり、筒井康隆という小説家の評価が変質し、読むべき作家の一人になりつつあって、とりあえず読んでみようという人にはお勧めできる作品という意味を持ち始めたということなのかもしれません。
筒井康隆作品の特徴を比較的安全に楽しめ、もしその特徴が自分にとって合うものであったら他の作品にも手を伸ばすきっかけになり、逆に合わないものだったら本能的に他の作品は目にしないようになるリトマス試験紙のような作品が「旅のラゴス」なのかなと思います。


そうだ!わかった!
「旅のラゴス」が売れる理由、それはこの小説が「筒井康隆入門書」だからなんだ!
時をかける少女」は他の作品と比較するとあまりにも異質過ぎるけれど「旅のラゴス」は他の作品を読んだ人からは筒井康隆らしさを十分感じることができる作品でありながら、筒井康隆作品の特徴を知らない人、本来なら筒井康隆作品が合わない人が読んでもそれなりに楽しめる小説だからなんですね。


という感じで理由なんて適当にひねり出すことができるからこの手の記事はあんまり信用しない方がいいと自分で書いてみると思えてくるわけです。






































「48億の妄想」がこんな風に話題になることは絶対ないんだろうな。処女長編のあれに強烈に影響を受けてしまった人間としては読んでほしい小説なんだけどなぁ。今のご時世だと各方面への配慮で再版されるかも怪しい。