高校野球逸材への複雑な感情

同じような思いで見ている人も多いと思います。特に投手で逸材と言われている選手に対しては。




東京生まれで今は千葉で生活していると地元に対しての思い入れはほとんどありません。地元松戸市から出場してもわざわざ応援に行こうという気持ちにもなりませんでした。出身高校が出場したら大阪遠征がてら応援に行こうかなという気にはなるかもしれないです。応援のついでに遊びに行く感覚でしょうか。当然応援バスみたいなのを使うことはなく自腹自前で行きたいですね。好き放題できる。
最近はそういう人も多いんでしょうが、公立高校出身ということもあり希少価値がある公立高校のことは応援してしまいます。
時々そういう公立高校でも逸材といわれる選手も出てきておもしろいなぁと思います。
今大会もそういう選手を擁する学校が勝ち進んでいますね。


しかし、そういう選手が投手だととても複雑な感情を持って見てしまうことになります。
活躍は見たい。しかし、あまり酷使はされて欲しくない。


今後、成長して大成しスターになる選手は高校時代にはまだ芽が出ていないことだってあります。しかし、本来ならスターになるはずだったのに高校時代に燃え尽きてしまう選手だっているかもしれません。
負けてもいいというマインドを持っている選手が大成するとは思えないのですが、結果として負けてしまった選手が大成するというのはよくあることです。負けを知らずに勝ち続ける超大スターというのはそうそういるものではありません。負けるのは嫌だけど、だからこそ負けることも必要で、その嫌な思いをしないようにするためにさらに研鑽をし、それでもやっぱり負けることがありさらにさらに磨きをかけるという過程を経て大スターになるんじゃないかなぁと想像しています。
そういう意味でも大舞台での負けを経験するということは将来のスター候補にとって決して無駄ではなく、その悔しさが将来の糧になることもあるのではないかと思います。


端から見ていてがんばれというのは簡単です。がんばらなくていい、ここで負けてもいいというのも簡単です。だからものすごく複雑な感情になります。