第八日:すべてはその時のために

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今日から二日間、再度「枝葉」となる要素に戻って論じてみる。二つのテーマを主に取り上げるが、両方ともに「枝葉」というには重すぎる要素だ。そして九日目に取り上げる「枝葉」の要素は、僕がこの作品を高く評価する最大の理由でもある。


さて、今日はまずハヤテのごとく!のヒロインであり、五日目に述べたこの作品で描かれる世界の一つ、「ナギの世界」を支えている三千院ナギという登場人物が、いったいどういう女の子として描かれているのかを分析してみる。そしてそこからの流れで登場人物それぞれの夢を考える。さらに今はまだ語られていない隠された設定のヒントがどこに用意されているのかを予想してみる。


この作品の冒頭部分、第一話(一巻一話)でナギちゃんはハヤテ君から愛の告白を受けたと誤解をしている。それが恋の始まりだ。しかしそれから半月あまり、四巻の時点では、誤解とは関係なくハヤテ君に恋をしているであろうことは六日目にも述べた。ナギちゃんはこの作品の中で「身勝手なお嬢様」として描かれている。しかし、彼女はその自分勝手な部分をこのハヤテ君への恋に関しては全く見せていない。別の女性キャラクター、ヒナギクさん、マリアさんのような大胆なことをすることはない。増してや西沢さんのように誤解が決して発生しないような言葉を使って玉砕覚悟で告白するようなことはありえない。せいぜい第十八話(二巻九話)で、寝ているハヤテ君にキスをしようとしたり、第四十一話(四巻十話)で、ハヤテ君と二人きりになった時キスをしようかとどきどきしたりするくらいだ。そして第九話(一巻九話)では彼女は

  • 「ハヤテは……私のこと好きか?」

と自分の気持ちを伝えるのではなく相手の気持ちを確認しようとするだけなのである。
作中では描かれていないが、彼女は本能的に自分がハヤテ君から女性として見られていないということに気づいているのかもしれない。ナギちゃんはこの作品中の彼女以外の登場人物と比較して、恋する内気な女の子として描かれているのである。


第十五話(二巻六話)では、主要登場人物の夢が描かれている。その時ナギちゃんの夢として提示されているのは、ハヤテ君への恋の成就ではない。自分の漫画が一兆部売れることなのだ。彼女はハヤテ君が自分との結婚を夢見ていることを願っているだけなのである。


ヒロイン三千院ナギは、ラブコメ要素という切り口で考えると、ほかの登場人物に比べあきらかに受け身な女の子として描かれている。成長することによってどう変わっていくのか、それを畑健二郎さんがどう表現していくのか、非常に興味深い。


さて、ナギちゃんの夢は自分の夢である。しかしそれはお金では買えない。厳密に言えば作品の設定となっている三千院家の財力を持ってすれば買えるが、それでは夢は満たされない。自分で一兆部買うのではなく読者に一兆部買って欲しい、そして読んでもらいたいのである。対照的にハヤテ君の夢はお金で買える夢である。それも、この作品の「ナギの世界」では、ややもすると服一着の値段で買えるような「小さい」夢である。そしてマリアさんの夢は、お金ではどうにもかなわない夢である。そして自分自身だけではどうにもならない。しかし夢をかなえた後、いったい自分がどうなってしまうのか。新しい夢を探さなければいけないのか。冷静に考えると不安になるような夢である。


夢というのは成長するとともに変わっていく。子供の頃、電車の運転手になりたかった男の子が、あるとき医者になろうと決意し、自分がブラックジャックのような天才外科医になることを夢見ることもあるだろう。あるいは看護婦にあこがれていた女の子がモデルの世界に入る決意をして、世界中を飛び回るスーパーモデルになれるよう必死になってがんばるように変わることもあるだろう。
この作品では、様々な設定を個別にみると「漫画的な」荒唐無稽なものである。しかし、作中の時の流れだけは現実世界と同じように流れさせようという意図を持っている。漫画、アニメでは、多くの場合初期に提示された夢のため登場人物が成長していくというモチーフが使われる。だが、この作品では、現実社会と同じように年月を経て登場人物の夢が変わっていく様がもしかすると見られるかもしれない。そして、それが「トゥルーエンド」を読み解く鍵になってくるのかもしれない。




次にこの作品でまだ隠されていると思われる設定について述べる。


まず代表的な物は「姫神君」の存在である。彼がいったい何者で、物語でどういう役割を果たすのかはわからないが、おそらくはなんらかの重要な役回りを与えられている可能性が高い。
次に「タマ」の存在である。このトラ(猫)は、日本語を理解できるが男にしかしゃべらないという設定を与えられている。一巻のプロフィールで、作者の畑健二郎さんは「しゃべるには明確な理由がある」と述べている。しゃべれるようになった理由があるという意味だと思われるが、もしかするとしゃべれなければいけない理由もあるのかもしれない。タマがしゃべれることもこの作品にとっての鍵の一つである可能性もある。
それはともかく、四巻時点でも、タマは三千院家の世界で唯一ハヤテ君が対等に話せる相手という重要な役割を担っている。しかしそれ以上の物語に関わる設定が用意されている可能性も残されている。
さらにもう一つ気になることがある。第一話でマリアさんがメイド服で無かったのはなぜかということである。外部でのパーティーの場合はメイド服を着ないのか、あるいは別の理由が用意されているのか、たまたまそうなっただけなのか。他にも僕が気がついていない細かい設定は多数あると思う。今後も増えていくのであろう。可能性は低いがそういう細かい設定が「トゥルーエンド」への手がかりになっていく可能性があるので読者は気を抜けないのである。


僕は普段の日記の中で畑健二郎さんを「油断ならない語り手」と呼んでいる。この物語もこの作者も、気を抜いてかかると本質を見抜くことができない。確かに表裏は無いかもしれない。しかし「奥」があるのだ。それを考えないと、不意打ちを食らい衆人環視の中で号泣したりする恥ずかしい思いをするかもしれない。


七日目に述べたように、この作品の設定は、それがどんなに些細なことであっても、すべてが「トゥルーエンド」に向けてデザインされていると考えている。
それは物語の本筋ではないかもしれない。一見ちょっとした気まぐれで作ったエピソードに過ぎないように見えるかもしれない。しかし、疑心暗鬼な僕のような読者は、その些細なことが後から見ると「その時」に向けてある方向性を指し示している事がわかるようになっているのではないかという疑いをもってしまうのである。


油断するわけにはいかないのだ。

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