ゼロの使い魔とハヤテのごとく!

昨日のルイズとナギという記事から続きます。
ゼロの使い魔を読んだのはつい最近のこと。今現在、まだ感想は書いていないけれど6巻まで読みました。どうでもいいけれどここまで1冊も同じ本屋で買っていない。こだわってみようかなぁ。ほんとうにどうでもいいことです(笑)。
くだらない話はさておき、といってもこの先もくだらないですが、ゼロの使い魔を感想が書ける程度に読んでみるとね、気づくんですよ。この小説、ハヤテのごとく!によく似ている。
コメディとシリアスがミックスされていて、サイドストーリーも充実している。それらサイドストーリー同士にもどうやら関連性があるようでどうも物語のエンディングにも影響してくるように思える。
ほんとによく似ている。
なので、双方のヒロインを比べてみたらどうなるかと思ったのが昨日の記事を書いた動機です。


ところが…。
物語としてはよく似ているはずなのに、ゼロの使い魔は前述のように6巻まで、ハヤテのごとく!の場合は3巻まで私の印象はまるっきり正反対なんですね。
ゼロの使い魔はまさに物語の王道を行く作品。
ハヤテのごとく!は今までに自分が読んだことがない作品。
どうしてこれほどまでに印象が異なってしまうのでしょうか?
その理由を今日は書いてみます。




まず最初はヒロインの年齢です。じゅうななさいかどうかという話題ではなくハヤテはナギの方の話。ルイズは16才で才人と同世代。しかしナギは13才でハヤテからは子供にみえる。この差は大きい。ゼロの使い魔は主人公とヒロインによる誤解とすれ違いの応酬系王道ラブコメができるのにハヤテのごとく!ではそれはまだできません。ナギが一方的に誤解というか思いこみをしているだけ。


続いてもう一人のヒロインの存在です。これはまだ私自身整理がついてないです。マリアさんの役割を正確に言い当てることはできません。もしかしてそれができるのは作者畑健二郎さんだけなのかも…。もう一人メインヒロインがいると言うことを明かしたのは、そうしないと読者がトゥルーエンドでびっくりして受け入れてくれないからかも知れないなぁなどとも思っています。


次はハヤテのごとく!における「使用人たちの夜」です。ゼロの使い魔に限らずこれに該当する話はあまり読んだ記憶がないんですけれど…。物語の制約を作中人物に語らせる。推理小説では作中でこういうルールの遊びが出てくることは多いですけど、こういう感じのは記憶にない。ゼロの使い魔では、今読んだところまでではこれに当たる話は当然ありません。いいか悪いかは微妙なんですよね。物語に制約を付けると自由度が失われるのが普通だから。


最後に。たぶんこれが決定的な違いです。
主人公に目的があるか否か。
ゼロの使い魔の主人公才人にはもといた世界に戻るという目的があります。しかし、ハヤテのごとく!の主人公ハヤテには目的がない。「今はとりあえず」ナギを守っているのです。そして、ハヤテには帰る場所がないんです。物語冒頭で居場所を失っているんです。今の居場所は運良く転がり込んだ場所なんです。三千院家はゼロの使い魔でいうとハルケギニアみたいなものなんです。
主人公に目的があるか否か、その言葉は言い換えると「主人公に本来の居場所があるか否か」ということになります。
ゼロの使い魔の場合は、主人公が本来の居場所に戻ることができても、あるいは今いる場所にとどまることを選択しても、いずれにしろかなり切ないエンディングになることが容易に想像できます。
ハヤテのごとく!の場合はどうか。
そもそも戻る場所は無い。だから、今いる場所を捨てる必要は無い。なのに、なぜかとっても切ないエンディングが用意されているのではないかと感じてしまった。


ゼロの使い魔が「居場所に帰る物語」なら、ハヤテのごとく!は「居場所を見つける物語」なのではないかと私は思います。


この記事では作中人物の恋愛模様についてはほとんど触れませんでした。最後にそれについてちょっとだけ書きます。
ゼロの使い魔は簡単。主人公とヒロインの恋愛模様が軸で、それを周囲がかき回す感じ。めぞん一刻みたいなもの。ハヤテのごとく!の場合はその軸がまだ定まっていない。主人公とヒロイン以外の恋愛模様が主人公とヒロインに関わってくる仕掛けになっているからさらにわけがわからない。
うまいこと話を進めることができるかどうかはともかく、ラブコメとしてのポテンシャルはハヤテのごとく!の方が数段上だと思います。




あんまり長い記事を書くとコメントとかをする気力が無くなるので今日はこの辺で…




ハヤテのごとく! 3 (少年サンデーコミックス)

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