ハヤテのごとく!がカオスになれる理由

ここ数週間原作がカオスになっています。アニメの方も特にオリジナルの話はカオスです。私はめちゃくちゃな話が好きなのですんなり受け入れていますが受け入れられない読者、視聴者もいらっしゃると思います。
おそらく、漫画、アニメとも狙ってカオスにしています。それができるのは、ハヤテのごとく!という漫画に、カオスになっても破綻しない仕掛けが用意されているからです。


かなり昔の古い話になりますが、原作14話(2巻5話)のラストにこんなやりとりがありました。

私はこの話がサンデーに掲載されていた頃はまだスルーしていたのでコミックスに収録されてから読みました。一読しただけでは別に何も感じませんでした。しかし、当時出ていた3巻まで繰り返し読んでみると、このやりとりは変なんですよ。


なんでこんなに早くバトル漫画になる可能性を否定してしまったのか?


「バトル漫画にはならない」と言い切り理由が見あたらなかったです。バトルが読者に受け入れられればバトル漫画になってもかまわないんですよ。普通なら。
上に挙げた一コマの真意は「バトル(だけの)漫画にはならない」って所にあると思います。バトルもあるけれど決してそれだけの漫画にするつもりは無いという作者の信念というかこだわりが透けて見える言葉ですね。それに気づいて私は「畑健二郎さんは志が高いなぁ」と思いました。それに気づいてしまったのがこの漫画にのめりこんだそもそもの理由ですね。


さて、カオスの話に戻りましょう。
原作の漫画ではバトルに限らずありとあらゆる既知の漫画カテゴリーに分類されることを否定しているように見えます。だからしょうがなく「執事コメディ」という謎ジャンルになるんです。それを逆に見ると、ありとあらゆるジャンルを取り込んでいるということもできちゃうんですよね。バトルも、ラブコメも、萌えも、成長物語も、友情物語も、そして、メディアを問わずに他の作品までも取り込んでしまっている。


だからカオスになるんです。そしてそれはアニメにも受け継がれています。


ところが、毎週全く違うお話が出てきてもそれが「ハヤテのごとく!」という一つの作品にまとまってしまいます。まとまっていないと感じている人もいらっしゃるかも知れないですが最終的にはおそらくまとまると私は予想しています。
決して登場人物が共通だからと言う話だけではありません。それは、ハヤテのごとく!という原作漫画がある特定のエンディングを目指しているからです。エンディングが決まっているから「バトル漫画」になることをあんな早い時期に否定できたんですよ。そして、いくらカオスになっても「ハヤテのごとく!」で有り続けることができるんですよ。


暫定最終回システムの話とかも書こうとしたのですが今日はこれだけにします。コメント欄を読んでこの話を書こうと思い立ちましたが、実際に書いてみると苦い思い出がよみがえってきます。
この話は本来ならtanabeebanatなりの「ハヤテのごとく!という漫画のまとめ」として書くはずでした。これを書けば感想は終了になるはずでした。しかし、それはかなわず、もう一つ先に進んだ「この漫画の終了日は決まっている」という所まで進まざるを得ませんでした。
なぜなら、私が書く前に作者にこのことを書かれてしまったからです。あの文章を読んで私が受けた衝撃はいくら言葉で説明してもなかなか伝わらないのかなぁと思いますね。
バックステージVol.49
もうすぐ2年なんですねぇ。