生きている意味を考えたら負けだと思っている

こんなこと書きたくないんだけれど俺の常識が社会一般ではたぶん非常識だからまず書いておく。俺は自分が何かを書いて誰かに同意してもらったり、影響を与えたりするのはよしとしない。
これから書くことはあくまでも今の俺がこう考えているってことであって、この考え方を人に押しつける気はない。逆にこれとは違う考え方を持っている人からその考え方を押しつけられる言われもない。じゃあ、未来永劫これから書くようなことを考えて生きていくかと言われるとたぶん違うと思う。いつかは自然に考え方が変わるんだと思う。
別にどうでもいい独り言。なのに何でこんな所に書くのか?それは…Web拍手でネタを振られたから。




ほとんどの人間にとって生きている意味なんか無いと思っている。それを考えたら死ぬしかないと思っている。なぜか?自分にとっては意味があることであっても他の人にとっては果てしなく無意味だから。誰にとっても意味がある人生を送れる人なんてそうそういるもんじゃない。
いくらお金を稼いだか?社会にどれだけ影響を与えたか?ほんとうにそれは意味があることなんだろうか?自分にとって意味があるだけで他の人にとっては意味がないことなんじゃないだろうか?金を稼ぐだけの人生なんて、人に尽くすだけの人生なんて、何の意味もない、そう考える人だっているはずだ。逆に自分のためだけの人生なんて何の意味もないと思っている人もたくさんいるはずだ。
いったい生きていることに何の意味があるんだろう?




さてと。軽〜めの話はこのくらいにして、ここから重い話を書きましょうか。
私は地理マニアで学校でも地理を勉強していました。ゼミでは人文地理、つまりは人間活動と地理を絡めたのをやってましたけれど、自然地理にも人一倍興味がありました。全然違うけれど両方面白いんですよ。そんな勉強をしようとするのは変わり物が多いのでそんなやつらばっかりでした。
自然地理の実習では地層とかをみるんですよ。そうするとね…。何万年前の話とかになっちゃうわけですよ。そして、その何万年前ってのは地球の歴史からみると「つい最近」なんですよね。
やになっちゃいますよ。人間が生きられる期間ってせいぜい長くて百年ちょいじゃないですか。そんな短い一生の中でできることなんて限られていますよ。なんかね。全てがばかばかしくなっちゃうんですよね。




生きていることに何の意味があるか?それは自分で考えることでもないし、今を生きる人が考えることでもないんじゃないかな?何百年かしてから歴史家がその人の人生に意味があったか考えればいいんじゃないかな?そして、その人の人生に意味がなかったという結論になったとしても、何百年後かに人生を振り返ってもらえた人はたぶん勝ち組でしょう。私を含むごく普通に生活している人たちにはそういう機会は与えられないでしょうから…。