錆びた時計が動き出す

やじうまWatch 斉藤由貴さんのセルフカバーCD「悲しみよこんにちは」に注目が
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ニコニコ動画(こっちのほうがすごいか?)
うううううううううぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーー
つつつつつつつつつつられてたまるかぁぁぁぁぁぁぁぁぁ

悲しみよこんにちは(21st century ver.)

悲しみよこんにちは(21st century ver.)





先日井上陽水の夢の中へを聞いてきたばっかりだって言うのに全く俺というやつは…。
悲しみよこんにちはは安全地帯の玉置浩二作曲であることはみなさん知ってらっしゃると思います。夢の中へと合わせると井上陽水ファミリーといえないこともない…。
不安材料はアレンジが変わること。武部聡志のアレンジが神。とにかくツボ。それが変わってしまうとどういう歌になるのか?興味がありますねぇ。
これが売れたら続編も出てくれたりするのかなぁ。MAYとか少女時代とか砂の城とかAXIA希望。


さて、私が斉藤由貴にはまったのは「悲しみよこんにちは」という曲のせいです。なぜこの曲にはまったのか?それは当時はまっていた漫画がアニメ化されて主題歌がこれだったからです。
言うまでもなく「めぞん一刻」です。
悲しみよこんにちは」を「めぞん一刻」読みながら聞くと泣くよ。特に1巻と1番、15巻と2番。相性最高!この歌が作られたのはめぞん一刻が完結するより前のはずなのに15巻と2番のマッチングは神がかっています。
とはいってもめぞん一刻が手元にないひともいらっしゃるでしょう。そういう人のためにもう一つだけ。
少なく見積もってこの記事を読む人の8割は持っているであろうハヤテのごとく!の123話(12巻5話)「いつか…信じて」を読みながら2番を聞いてみてください。来るから。マジで来る。
「いつか…信じて」はめぞん一刻の「桜の下で」を下敷きにしているからそれは当然のことです。でもねぇ。当時の感想でも書いたような気がしますけれど、「いつか…信じて」はめぞん一刻よりもめぞん一刻らしいはなしなんですよ。変な話なんですけれど私はそう思っちゃうんですね。「いつか…信じて」は広い意味での2次創作だと思うんですよ。それが、恐ろしいことに原作を越えているんですね。原作のキャラクターがでているわけでもないのに「これはもう一つのめぞん一刻最終回なんだな」とわかっちゃうんですよ。
バックステージなどでの畑健二郎さんの言葉を信じる限り、123話はハヤテのごとく!がアニメ化されたことをきっかけに生み出されたお話なんですが、原典以上に原典らしいオマージュというかパロディというか2次創作を作ってしまうんですからおそろしい…。


しかし、めぞん一刻の「桜の下で」とハヤテのごとく!の「いつか…信じて」には決定的な違いがあります。
「桜の下で」は読者に物語の終わりを印象づけるのに対して、「いつか…信じて」では逆に物語の始まりという印象を持たされます。
それはなぜなのか?


以下強度のネタバレ。気にする人はいないと思いますが念のため…。










「桜の下で」では惣一郎さんが五代君を認めたという印象を持つんですよ。そしてそれは物語のゴールなんだなと本能的に理解できるんです。
「いつか…信じて」ではナギの母、三千院紫子さんがハヤテを認めます。しかし、それによって私が受けたのは「これでハヤテはナギが主人公の物語で登場人物として認められたんだ」という印象です。
ほぼ同じ構成で、しかも「いつか…信じて」は明らかに「桜の下で」を下敷きにしてるにもかかわらずこれだけ印象が違うんですよね。


本って面白いなぁ。


最初に戻りますが、「悲しみよこんにちは」を聞きながら『めぞん一刻』、またはハヤテのごとく!123話を読んでみてください。うっかりすると泣きそうになります。俺なんか想像しただけでも泣きそうになります(笑)。


ハヤテのごとく! 12 (少年サンデーコミックス)

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めぞん一刻 15 (ビッグコミックス)

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オリジナルバージョンはむろん全て手元にあります。携帯にも入っていたりします。今日帰りに聞いて泣きそうになってました(笑)。