2007/11/28分

また新カテゴリを作ってしまいました。一度っきりになるかもしれないですけれど入れるべきカテゴリが見あたらなかった。と思ったけれど全部ハヤテ関連なので別のカテゴリも付けてみました。
では、まず頂いたコメントを敬称略で引用貼り付けするところから始めてみましょう。

SGKD 2007/11/28 22:26  マリアさん強化週間なのかな?誕生日も近いですしね。しかし、マリアさんとハヤテの二人の話になると、お風呂絡みの話が多いですねえ。何かこれも、本編に関係あるのかな?


にゃたり 2007/11/28 23:26 13巻のカヴァー折り返しの4コマがだいたい同じ展開&構図だとか、ハヤテがヒナギクにプレゼントしたクッキー(ヒナの誕生日とホワイトデー)だとか、あえて同じだったり共通したりするものを提示して、それらの差異(結果もしくは過程など)を強調させるのが畑先生のやり口のひとつっぽいので、例の件もその一貫なんじゃないのかな?と思ってます。


Iuth 2007/11/29 00:01 この前に「うる星」っぽかった、というと…咲夜との柿探し、でしょうか?
その話もそうでしたが、一発ネタ勝負っぽいバカ話にも微妙な人間関係の移ろいやら何やらを織り交ぜるのが畑流ですね。
長編のように、意識的に話を前に進めようとするといまいち不器用になるきらいがあるので、畑さんはこういう作風が得手なのかな、という印象ではありますが…そのペースだと何年かけても終わりそうにない^^;;。


封印すべきリモコン 2007/11/29 22:34 >>Iuthさん

長編が微妙なのは、「ハヤテのごとく!」がスーパーハイブリット構造だからだと思いますよ。
長くなりますが、ちょっと説明しますね。

スーパーハイブリット構造は確実に日付が進む中で綿密な日常描写を描き、少しずつ各キャラクター(モブ以外のほぼ全員)の性格や立ち位置などが変化していく様子を見せる手法です。
そうして時間の経過、年月・季節の移ろいを他のあらゆる物語構造よりも克明に描写するんです。

でもこれってtanabeebanatさんが何度か言及していたハズですが、
「最初から、ある特定の終焉を設定し、それに向けて物語を収束させる」
という手法とは水と油なんですよねw
tanabeebanatさんは両立させてこそのスーパーハイブリット構造だと思ってらっしゃるようですけれど。

さて、ここから本題です。

物語の登場人物には、作者の思い通りに動かされる「作者優先モード」と、キャラクターが勝手に動く「キャラ優先モード」の2つの行動原理があり、
「作者優先モード」は物語の舵取りが取り易い反面、キャラクターの性格が一貫しない/後ろで作者が動かしている様子が透けて見えて感情移入しにくい等の弊害も多く、
「キャラ優先モード」はキャラクターの行動という点において作者の制御が利かなくなるデメリットがある代わりに、キャラクターが一貫した性格で生き生きと活動する様子を描く事が出来、
最終到達地点をガッチリ決めている物語でない限り、物語というものは、なるべく「キャラ優先モード」で描くべきだとされています。

また、スーパーハイブリット構造と「作者優先モード」は、致命的なまでに噛み合いません。
スーパーハイブリット構造はキャラクター達の人生やキャラクターたちが住んでいるエリアの時間経過を描く物語構造なんですから、少しでもキャラが立っている奴は全員「キャラ優先モード」で描かなきゃならないんですよ。

で、ここで問題になってくるのが
「畑先生には目指すトゥルーエンドを最初から設定している」
という事実です。
難儀な事に「最初からラストが決まっていて、そこから逆算して物語を構築する」という手法は、スーパーハイブリット構造とは逆に「作者優先モード」と死ぬほど馴染みます。
更に言えば、「キャラ優先モード」との相性は最悪に近いです。勝手に動き出したキャラクターに用意していたラストをぶち壊しにされかねませんからね。(漫☆ 画太郎先生が最も分かり易いサンプルでしょう。この人は我の強いキャラクター達に「キャラ優先モード」で漫画を描く事を強要され、話を無茶苦茶にされてます。)

普段、というか一話完結の話の場合、畑先生はスーパーハイブリット構造に沿って「キャラ優先モード」で話を進めています。
スーパーハイブリット構造はそもそも最初っから「キャラ優先モード」が組み込まれているような物ですから、畑先生も特に意識せず「キャラ優先モード」でお話を描けていると思います。
お陰でトゥルーエンドに向けての複線張りや複線回収、フラグ立てなども鼻につきません。

が、しかしです。

長編になると「フラグ立てなきゃ」「複線張んなきゃ」「複線回収しなきゃ」「えーと、トゥルーエンドに持っていく為にはここをこうして……」という意識が畑先生の中で強くなってしまっているようです。
そのせいで、長編になると物語の制御がしやすい「作者優先モード」を使ってしまいがちになるんですが、「ハヤテのごとく!」はスーパーハイブリット構造で描かれている漫画であり、前述したように「作者優先モード」とは致命的なまでに合いません。

何しろ、ちょっとしたイベントとして挿入される位でしか「日常」が描写されない他の物語構造とは違い、スーパーハイブリット構造では読者は普段のキャラクター達の様子をあまりにも知りすぎています。
そこへ持ってきて、キャラクター達が長編に入るなり「作者優先モード」で本来の行動原理から外れた行動をとったら、他の物語構造とは違和感の桁がまるで違うんですよ。
長編が微妙な出来な物が多いのは、恐らくここが原因です。

とはいえ、これをネタに畑先生を責めるのは酷でしょう。
スーパーハイブリット構造はかの漫画の神様、手塚先生ですら足を踏み入れていない人跡未踏の魔境であり、
対する畑先生は、「ハヤテのごとく!」が始めての長期連載という新人です。
長編を描くに当たって、「作者優先モード」用のリモコンに手が伸びるのもいたし方ありません。

ただ、これからも「作者優先モード」を使い続ける訳にも行かないでしょう。
となると、長編になろうがどうなろうが「作者優先モード」でキャラクターを動かさない克己心と、「キャラクター達の性格上、こういう場面でこんな立場に置かれたら、このフラグを立てるような行動を取るはず」というふうに状況設定のレベルでキャラクターの行動を制御出来る構成力が必要になりますね……
どっちも人間の領域を超えてますけど、コレが出来ない以上はスーパーハイブリット構造を維持しつつ望む結末に持っていく事はできませんから、畑先生の精進に期待したいところですね。

……畑先生が「ハヤテのごとく!」をきちんとした形で結末まで描けたら、トキワ荘グループクラスの伝説の漫画家の一人として扱っても良いような気がする……



マリアさんとお風呂は確かに切っても切れない縁があるかも知れません(笑)。もしかするとマリアさんが女性であることを読者に意識させるためにはお風呂に入れるくらいしか方法がなかったりするのかな?なんておもっちゃったりして。刺されるかも知れません。
物語に関係があったら…。びっくりですよ…。さすがにそれはないでしょうね。


分岐構造ってのはゲームからの発想なんでしょうかね。あるタイミングで別の選択肢を採用したらこうなる、みたいな話の展開が、畑健二郎さんにとっては好き、というか自然なのかもしれないです。
でも、漫画ではその両方の分岐を描くことはできないわけで…。できないはずなんですよね…。なのにこの漫画ではそれがある程度実現してしまっているんですよ。たぶん。


さて、では重いのに取りかかりますか。
私は『ハヤテのごとく!』が「スーパーハイブリッド構造」になったのはあくまでも結果だと思っています。畑健二郎さんがやりたいことは「自分が書く漫画を週刊少年誌の連載に耐えられる人気漫画にして、かつ、終わる時にはきれいに終わらせたい」という思いだけだったんじゃないかなと想像しています。そのために用意した材料を料理していたら端から見たら「スーパーハイブリッド構造」に見えるような話になってしまったんじゃないかと思います。まさかこの作りが時間経過を浮き立たすなんてことは想像もしていなかったんじゃないかなぁと…。
で、この作り自体私は見たことがなかったし、もしかすると本当に初めてなのかも知れないので難しいかどうかも私にはわからないんですよ(笑)。最初は一話完結を繰り返しつつ予定調和に行くから難しいのかなとも思ったんですが、複数の物語それぞれが影響を与え合うっていう構造なので、何か予定外のことがあってもあとで取り返すことができる分作りやすいのかなとも思ったりしました。
大変なのは後に続く人だと思います。簡単に模倣できそうで実は難しい。なんせ結果的にそうなっているものを模倣しなきゃならないのでうまくいかない可能性も高いと思っています。
せっかくなので書きますけれど、サンデーで連載中の「あいこら」はハヤテの仕掛けを模倣しようとしているんじゃないかと感じています。どこがそうなのかと言われると困るのですが…。ただ「あいこら」の場合は「フェチ」という柱があるので逆になかなかうまく行かない様に見えてます。普通とは逆の発想をしないといけないんですよね。特に主人公の行動を縛る「お約束」的な物は極力なくさないと。ハヤテの場合は「不幸」がそれなので主人公が能動的に動かないからうまく行っているように見えます。


この漫画がうまく行ったら、畑健二郎さんはトキワ荘の住民というよりなんというか「物語の形を作った人」として評価されるんじゃないかと思っています。いずれにしろ、そうなるのはこの漫画が完結してからかなり長い時間が必要だと思っているので、私が生きている間にはそうはならないかもしれません(笑)。




余談ですが…。
あちこちで宣伝を見かけると思いますけれど、大晦日に某所で本を頒布するらしいです。んで、そこにちょろっと書いていて…。そのネタを回避しつつ書くのはコメント欄ではつらいなと思ったのが記事にした理由です。
私は畑さんとは違ってネタバレ上等ではなく、できるだけネタは隠しておきたいというマインドを持っている物で…。


これも一種の貧乏根性なのか??


みなさま、コメントありがとうございました!