日比野文は藤波竜之介?それとも…

「それとも」の後ろはこの記事の中盤以降に書きます。
ハヤテのごとく!158話で登場した日比野文(ひびのふみ)っていう登場人物は強烈な女の子です。強烈ってことは感想サイトを見れば一目瞭然。ポジティブ、ネガティブ、意見は分かれています。しかし、スルーしているところがほとんどありません。無視できない存在感です。
彼女に似ている他のキャラは誰かなぁと考えてみたんですよ。一人思い付きました。


うる星やつらの藤波竜之介です。


属性も特徴も全然違いますよ。似ているのは状況です。15巻くらいで突然登場してくる。出てきた瞬間そのキャラの世界になってしまう。そこがすごく似ている。
うる星やつらに竜之介が出てきた時のファンの反応は私も知りません。当時は読んでなかったし、もし読んでいたとしてもネットなんて無かったから身近な友だちとごく少数の声の大きな人の意見しか耳に入らなかったはず*1
だから、想像の世界でしかないんですが、竜之介が登場した時のうる星ファンの反応はこんな感じだったんじゃないかと思うんですよね。


自分の好きな漫画の世界が「日比野文」あるいは「藤波竜之介」に破壊されるのではないかと心配する人は必ずいるはずです。


私は「藤波竜之介」以降のうる星やつらが好きです。彼女というか彼の方がいいのかなぁ(笑)によって本格的に持ち込まれた暴力ギャグが大好きです。でも、そういう大好きって言う人がいればいるほど、たぶんそれが許せないと思っている人もたくさんいるんじゃないかと思っています。
日比野文」は『ハヤテのごとく!』っていう漫画のバランスを崩しかねない危ういキャラだと思いますね。




さて、そう考えると…。うる星やつらの登場人物の中に、「日比野文」と比較しうるキャラがもう一人います。


「ラム」です。


うる星やつらはラムによって破壊された漫画です。逆に破壊されたからあそこまで人気が出た漫画です。私は日比野さんが気に入ったのでこんな事を書けるんですが、日比野文はラムと比較しうる破壊力を持っていますよ。みんな持っていかれちゃう可能性がある。




しかし、よく考えてみると「ハヤテのごとく!」のファンは既に1度同じ経験をしているんですよね。
ヒナギク登場の時に…。
今となってはヒナギクさんはこの漫画の一員として溶け込んでいますけれど、初登場時には日比野文並みの違和感がありました。


ヒナギクさんの場合は姉の雪路とともに、設定だけではなく物語まで「ハヤテのごとく!」という漫画にインポートされました。文ちゃんの場合は作者のその場の思い付きで生を受け彼女の物語が始まりました。その違いは決して小さくはないと考えています。
作者の畑健二郎さんは物語の作り方を変えようとしているのかもしれません。今まではすべてきっちり考えた上で作っていたんだと思うんですよ。文ちゃんの物語はそうではなくて、結末は決まっているけれどその過程は流れの中で考えていく、もし、要望がなかったりうまく作中にはまらなければ別にスルーしてもいいみたいな感じで進めて行こうとしているのではないかと思います。
それを進めていくとこの作者はこの先さらに違う方法で漫画を描くんじゃないかと想像することができます。何も考えずにキャラを作って、読者からの要望があれば物語を都度考えてあげる…。高橋留美子作品のキャラクター達のように…


畑健二郎高橋留美子という二人の漫画家は本当によく似ています。どこが似ているかというとまずはギャグセンス。そしてテンポ。休まないこと、まぁこれは畑健二郎さんが影響を受けて…って話しらしいですけれどね。さらには心理描写。唯一違ったのがストーリーの作り方だなと思っていたんですよ。そして、その違いは水と油だなぁと思っていたんですよ。
でも、去年の2月に気づいた。少なくとも「ハヤテのごとく!」っていう漫画の場合には、高橋留美子さん的な組み立てられ方をしたストーリーも取り込むことは可能なんじゃないかと…。




例によって無駄に長い文章をつらつら書いてみましたが、ここまで書いてから気づいてしまった。
今日書いたことは「ハヤテのごとく!」の本編、ハヤテとナギとマリアさんの物語には全く関係ない。めちゃめちゃ些細なところ。他に人にとってはどういう作品かはわからないですが、私にとっては恐ろしい漫画です…。

*1:私はこの状況が今でもそれほど変わっているとは思っていません。相変わらず声の大きな人の意見だけが一人歩きしているでしょう。そして、その意見がすべてのファンを代表するみたいに勘違いされている向きもあると思います。そんなことはないわけでして…。まぁネットがあるからと言っても一般人が無力なことにはかわりない。