165話 仮想現実を紡ぎ上げるためのわりといけてる一つの方法

今週の話、めちゃめちゃ面白かったです。いえ、別にオタクの生態が描かれているから面白いというわけではなくですね。面白かった。
1年と1週間前の私だったら「なんだかよくわからないけれど面白い」と書いて、面白いと思った要素だけを列挙していたんじゃないかと思います。しかし、今は違う。この話をなぜ面白いと思ったのか?自分が納得できるように説明できるんです。そして、もしかすると、私同様に165話を面白いと感じた人とも、それをここに書くことによって共有できるかも知れないんです。もやもやした面白さから理由がはっきりしている面白さに変えることができるかも知れないんですよ。


今週の話を一言でまとめると、とにかく生々しいんですよ。いえ、別にオタクの生態が描かれているから生々しいというわけではなくですね。生々しい。それがこの話を「面白い」と感じた理由だと思うんですよ。
それだけじゃわからないと思うのでまずは要素を列挙してみます。

再登場しました。彼女は人気出るよ〜。
今週彼女に割り振られた役回りは薫先生への突っ込み役です。では、なぜ彼女がその役目を果たすことになったのでしょうか?たとえば生徒会三人娘、特に最近出番がない泉ちゃんじゃまずかったんでしょうか?
理由は思いつきます。
美少女の写真を見て雪路であると見抜かないことが必要だったのかもしれません。しかし、それは『ハヤテのごとく!』という漫画の流れでそうである必要があることなのでしょうか?
いずれ文ちゃんがこの写真の美少女と雪路とが同一人物であることに気づくのでしょうか?気づいた時にはこのエピソードが「伏線」とみなされるのでしょうか?
私はそう思えないんですよね。もちろんそれをきっかけに物語が転がっていくこともあるだろうし、「ふーん」の一言で終わること可能性だってだってあってもいいし、そもそも『ハヤテのごとく!』という漫画の中ではこの写真についてもう2度と触れられなくても全く影響は無いはずです。
そして、この写真の一件がどう転がっても、それに関係する物語は本筋、すなわちハヤテとナギとマリアさんのお話とは絡みづらいです。

これは強烈です。学園の人気者。才色兼備のスーパー美少女ヒナギクであっても薫先生からみたら「雪路の妹」でしかないんですよ。薫先生の物語の中でヒナギクさんは脇役にすらなっていない。






物語とはなにか?と問われた場合、「創作者が作り上げた仮想現実である」という答えが一つ思いつきます。現実を下敷きにしていたとしてもそれは着想を得たと言うだけで作者が描いているのは仮想現実、架空の世界です。その架空の世界の中で登場人物が生き生きと動き語らっているかどうかが、その本を読んで「良い本だ」と判断する理由の一つになると思います。
そして、本当に良い本を読むと、あたかも読んでいる自分自身が、その仮想現実に取り込まれたかのような錯覚を覚えます。のめり込みやすい人、なかなかのめり込めない人、個人差はあるでしょうが、多くの人は一生に1度や2度そういう経験をしているでしょう。
のめり込む理由はいくつか考えられます。たとえば描かれている世界が自分にとってとてつもなく魅力的な場合です。男性だったら理想的な女性登場人物がいたりする場合もここに含まれるでしょう。こんな世界で冒険をしたいなぁ…、なんてことはいくつになっても夢想してしまう物です。
もう一つ挙げましょう。最近気づいた理由、それは「現実世界に近いこと」です。
いわゆるご都合主義的に物語が進んでいくのではなく、ある登場人物のある行動がトリガーになって極めて自然に物語が進んでいくという感覚ですね。『ハヤテのごとく!』はこのパターンなんですよ。
165話にもどると、薫先生と雪路が写った写真を見たのは文ちゃんでなくてもかまわなかったんですよ。文ちゃんのボケが一番面白いからそうしただけなのかもしれません。これが泉ちゃんだったらまた別の展開をしていたかもしれません。さらに、前述したように、文ちゃんがこの写真を見たことが将来別の話のトリガーになるかどうかも「作者ですら」わからない=決めていないんだと思うんです。もしかすると出てくるかも知れない。でも出てこないかも知れない。でも「文ちゃんが写真を見た」という事実だけは変わらないんです。
もう一つ。ヒナギクさんの例。彼女は薫先生の物語を中心として読んだ場合脇役になるかどうかも危うい立場です。雪路のコピー、そういう意識でしか見られていないキャラです。なのに、ヒナギクさん自身の物語では当然彼女は主役を務めています。薫先生が失礼な想像をしていたその直後、彼女は彼女で自分が主役の物語で思い切った行動をとったんですよね。面白いことに、薫先生視点のヒナギク像が描かれた瞬間、ヒナギクさんといういかにも記号化されているようなキャラが、あたかも現実に存在するかのように生き生きとした人物に見えたんですよ。彼女も自分の人生の主役だけれど他の登場人物から見たら脇役にしか過ぎない決して記号ではない一人の人間であると。


私が「スーパーハイブリッド構造」と呼んでいる『ハヤテのごとく!』の手法では、複数の登場人物がそれぞれ主役を務めている複数の物語がほぼ同時に描かれています。一つ一つの場面を抜き出すと誰が登場してもそれほど大きく話が変わるわけではありません。しかし、その場面に立ち会うという分岐を作者が選択したということが、将来的に意味を持つ可能性があります。そして、それが描かれた時点では作者ですらこの先どうなるかがわからないのです。また、物語の登場人物は、ある物語の主役で有ると同時に別の物語の脇役でもあります。本人が主役のつもりだったできごとが、別の登場人物にとってはとても小さなイベントになっていることだってあり得ます。


そう。あたかも現実世界のように…。


私は「スーパーハイブリッド構造」は極めて現実に近い仮想現実を描き出す新しい一つの方法だと考えています。



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