ハヤテのごとく! それは時の流れを描く物語

ハヤテのごとく!』という漫画はいろいろな読み方ができる。キャラクターに的を絞って萌え漫画として読んでいる人もいるだろうし、ラブコメとして読んでいる人だっているだろう。もしかすると、宣伝コピーに釣られて執事コメディだと思って読んでいる人だっているかもしれない。
どういう読み方をしているかによってこの漫画は全く別の顔を見せるんだと思う。他の人の感想を読んでも本当にそう思う。でも、どういう読み方をしてもこれだけはたぶんに同じだと思えることがある。


ラストシーンまで読んだら、それがどういう終わり方であっても、否応なく感動させられてしまうと私は思っている。


そもそも感動する物語というのはいったいどういうものなのか?そんな簡単な問いに応えることはおろか、その問いに思い至ることも私にはできなかった。『ハヤテのごとく!』という漫画を読むまでは…。この漫画のコミックス3巻までを読んだ時、なぜか、理由はわからないけれど、感動的なラストシーンが思い浮かんだ。その理由を、他の人を納得させることはできないだろうけれど、少なくとも自分自身にとっては納得できる理由を見つけるためにここに感想を書き始めた。
その結果、わかたったこと。
それは、感動する物語の多くは背後に時の流れを感じさせている、ということだった。
私にとっては新鮮な結論だったが、もしかすると常識的なことなのかもしれない。今まで読んで何とも言えない切ない気分になった作品を思い起こすと、少なくとも私の場合は、そのすべてが背後にある時間の流れを感じさせる作品だったんだ。


私は『ハヤテのごとく!』を読んでそのことに気づいた。なぜ気づいたのか?それは、この漫画が「時の流れ」そのものを描こうとしているのではないかと思い至ったからだ。
私はこの漫画を指して「時語」と読んでみようと思ったことがある。それはいわゆる黒歴史に当たる物だ。忘れたいけれど思い出してしまった。非常に恥ずかしい。その後「スーパーハイブリッド」という言葉を思い付いてからはその言葉を使うようになったが、「時語」と「スーパーハイブリッド」は同じ事柄を指してはいない。前者がこの作品の背後にある目的を指しているのに対し、後者はそれを実現させている手段を指している。そして、その手段は偶然産み出されたのではないかと私は考えている。




さて、その後、現実社会でも時が流れた。今日はコミックスの16巻が発売された。『ハヤテのごとく!』という漫画の中でも始まってからすでに約4ヶ月の時が流れた。
ここまでくれば私の言いたいことが伝わる人も増えているのではないだろうか?決して戻すことができない時の流れ。その流れの中で状況は変わっていき、人間関係も変わっていき、人そのものも変わっていく。この漫画ではまさにその変わっていく様が描かれている。


現在週刊少年サンデーに連載中の話ではハヤテの過去にあったできごとが描かれている。そこでは、「時の流れる速さが違う世界」の存在が示唆されている。この着想自体に私が触れたのは『ハヤテのごとく!』がはじめてではない。あるショートショートと、ある推理小説でそれぞれ全く違う描かれ方をしていた。
ハヤテのごとく!』で描かれたその世界を作者が当初から構想していたのか、あるいは追加して設定をしたのか、それはわからない。もしかすると大きな意味がある設定ではないのかも知れない。
それでも私はこの漫画が「時の流れ」という目に見えない物を表現しようとしていると思っている。


そう。あの日気づいたんだ。主人公の名前。ヒロインの一人の名前。そして…。この漫画のタイトル…。それらはすべてその1点を指し示している。




関連記事
2005/11/27 トゥルーエンド
2007/2/21 「スーパーハイブリッドコミック『ハヤテのごとく!』」(暫定版)
2007/3/25 『ハヤテのごとく!』が拓く物語の新千年紀 「スーパーハイブリッド構造」とは何か?
2005/12/11 物語の印象の正体