『ハヤテのごとく!』が変える未来

本編


1.難しいことに挑戦している
2.商業的に成功している
3.○○○○○



今日の記事は1月前に書いた記事の解決編にして、実質このサイト最後の「ハヤテのごとく!考察記事」です。




2005年の夏。ちょっとしたきっかけで手に取った漫画。それが『ハヤテのごとく!』でした。夜寝る前にちょっと読んでくすりと笑える程度の漫画であることを期待していました。
残念ながら、少なくともその時手に入れた3巻までを読む限りそれほど面白い漫画ではありませんでした。しかし、なんとも不思議なことに、読み返したくなる漫画でした。何度も何度も読み返しました。3回、5回、いや、もしかしたら10回以上読み返したのかも知れません。
そして、ある一つの結論に到達しました。


それは結論と言っても直感的な結論でした。他の人に説明することはできませんでした。だから説明を求めたのです。今は便利な時代です。インターネットにいろいろな人がいろいろなことを書いています。彼はその中に答えを探しました。「自分が気づくくらいなのだから、既に多くの人が『ハヤテのごとく!』という漫画で、何かに気づいているに違いない。そしてその中には自分が直感したことをうまく説明できる言葉を持っている人もいるに違いない。」そう信じて探しました。
しかし、望むような説明を見つけることはできませんでした。
そこで思ったのです。「説明を見いだせないと言うことは、もしかしたら自分だけが感じているだけかもしれない。でも、もし仮にそれが普遍的に誰もが感じることができる物だったとしてみよう。それを説明することに成功すれば、もしかすると『最初に説明に成功した人』になれるのではないか」と。
その時、たまたまインターネットに公開されている日記を書いていました。特に何かを書こうというのではなく、雑多なことを思い付いた時に適当に書いているだけでした。
だから思ったのです。自分が気づいたことをそこに発表しようと。そして、それを多くの人に読んでもらって、個人的な感覚なのか普遍的な感覚なのかを判断してもらおうと。


その試みは一部成功したと言ってもいいでしょう。書き始めた頃には考えられないくらい多くの人に自分の書いたことを読んでもらえるようになりました。ただ、当初抱いた感覚に説明をつけることはなかなかできませんでした。




ハヤテのごとく!』という漫画を知ってから約2年半経った2007年2月21日のことです。やっとありついた仕事に向かう途中、職場のそばにある喫茶店で彼はサンデーを読みました。
時間が止まりました。
ようやく、少なくとも彼自身に対して『ハヤテのごとく!』という漫画がなぜ面白いのかを説明することができるようになったことを悟りました。そしてそれを表現する言葉もごく自然に思い付きました。
ハヤテのごとく!』という漫画は、短いストーリーを並列、順列と自在に組み合わせることによってできあがっている。それぞれのストーリーは独立して読むこともできるけれど、それぞれ影響を与えあっているのですべてをまとめて読むと一つ一つのストーリーとは別の感想を持つことができる。そして、その感想は組み合わせによって変わることもある。また、同じストーリーであっても誰の視点で読むかによって感想はかわる。だから何度読んでも面白いし、先がわかっていても先が読めないという不思議な感覚を持つことができる。




その感覚を一言で表した言葉。それが「スーパーハイブリッドコミック」です。






さて、この言葉を世に出したことで、やりたいことは終わるはずでした。ところが、一つ忘れていたことがあったのです。
そう。最初に『ハヤテのごとく!』という漫画を読んだ時直感的に思ったこと、それはこの3つだったんです。

  • 1.この漫画は今までの漫画や小説と根本的に作りが違う
  • 2.この漫画はあり得ないくらい売れる
  • 3.この漫画は今後の物語に漫画や小説といったメディアに関わりなく大きな影響を与え、この漫画が使った方法がスタンダードになる





1と2については「スーパーハイブリッド構造」で説明ができます。1はまさにそのまま。2はいろいろな人の好みに合わせたショートストーリーを積み重ねることができるので幅広い読者層に受け入れられると考えることで説明がつきます。
しかし、3については説明がつきません。むしろ説明が難しくなったと言った方がいいでしょう。端から見て口で言うのは簡単です。しかし、それを実際に作るとしたらどうすればいいのか?それを説明することができませんでした。


「スーパーハイブリッド」を思い付いてから1年。そんな彼はある仮説にたどり着きました。
「スーパーハイブリッド構造」を実現するには

  • 1.おおまかな物語の流れを決める
  • 2.登場人物をある時間ある場所に配置する
  • 3.それぞれの登場人物がその時置かれた状況で何を考えどういう行動をするか、それを演じながら物語を作る
  • 4.当初の流れからずれそうになっても、流れを切るのではなく、元の流れに戻るように誘導する

重要なのは3と4です。目線を常に変えながら物語を作っていくことが必要になり、もし、作者の考えていたことからぶれたとしても、それぞれの登場人物が自然な行動を取るようにすること。
これでハヤテタイプの物語はできるのではないでしょうか?
彼はそれをゲームマスターがある程度コントロールしている中でプレイヤーがそれぞれのキャラクターを演じると言う意味で「テーブルトークRPG」的と表現しました。
残念ながら彼には致命的な弱点がある。自分で創作することができない。面白い話を作れないというレベルではなく、創作自体ができません。だからそれを、もし仮に説明できたとしても実証することが自分ではできないのです。


「スーパーハイブリッド構造」は複雑です。ぱっと見簡単にそれができるようには見えません。でも、おそらくは簡単なルールでそれが実現できるはず。そういう仮説からこの結論に到達しました。
漫画をTRPG的に書くというのは別に珍しい話ではないらしいです。もしかすると小説だってそうなのかもしれません。ということは、ハヤテタイプの作品を他の人が生み出すのはそれほど難しいことではないのではないかと想像するのです。
ショートストーリーを並列、直列に組み合わせて、それらのストーリーの登場人物をオーバーラップさせ、さらに、物語の都合よりも登場人物それぞれの立場に立った行動を優先させることにより実装することができるのではないでしょうか?
私はこの漫画を一読した時にそれを直感して「この漫画が使っている方法は、今後物語を作る時の標準になる」と思ってしまったのではないか、そう説明することができます。


冒頭に掲げた

1.難しいことに挑戦している
2.商業的に成功している
3.○○○○○

を穴埋めします。



  • 1.難しいことに挑戦している
  • 2.商業的に成功している
  • 3.模倣が容易



これですべての説明がつく。この3つの要素があったから、『ハヤテのごとく!』という漫画は今まで読んだどの物語とも違うと思い、そして、この漫画が未来を変える、この漫画をきっかけとして物語の作り方が根本から変わるのではないかと直感したのです。






気軽に手に取った漫画について3年もいろいろと書いて楽しんでしまいました。私が当初抱いた疑念についてはこれで一応すべて説明がつきました。
ここで書いたことはすべて仮説です。1と2についてはある程度実証されつつあると感じていますが、3については私の知る限りまだ実例を挙げて説明することはできません。そして、本当に悔しいのですが、私自身が実例を創り上げることができないと思われます。やってみようとは思っているけれど、まともな物語を作る才能が欠如しているのです。その壁にぶつかったのは20年以上前です。その後自然にできるようになった、などという楽観的な予想をすることは残念ながらできません。結局の所、この仮説が正しいのか?あるいはそもそも当初抱いた疑念自体が単なる思いこみだったのか?それはまだわかりません。時が経って自ずとその答えはでることでしょう。
もし、私が思っていることが現実になったとしても、それは遠い未来のお話です。『ハヤテのごとく!』が無事にトゥルーエンドを迎えてから、5年、いや、数十年経ってからようやくその価値が認められるようになるのかもしれません。


もし、仮説が正しいとしたら、『ハヤテのごとく!』では今までにない概念が呈示されています。そして新しい概念が定着するには、『ハヤテのごとく!』で描かれている「時間」が必要なのです。







後書き



これで終わりです。




本編とともに2008/5に書いて3ヶ月寝かせていたから変な感じです。書いたことすら忘れていた。ああ、当然このあと出てくる設定とかはその時予想して書いていたわけではありませんよ。残念ながらエスパーじゃないんで。


まさか3年もかかるとは思いませんでしたが終わりました。負けず嫌いなんですよね。なんで面白いのかわからないものをあがめ奉る気にはどうしてもなれず…。負けた気がして…(笑)。


さて、後書きと言いつつ本編では伝わらなかったであろう事を捕捉してみます。いえ、別に伝わる必要は無いと思うんですけれどね…。


あくまでも結果論でしかないのですが、全体を通して読み返すと、なかなか面白い読み物になったのかなぁと思います。文章はあれですが、過程が面白いのではないかと思うんですよ。
私がここに『ハヤテのごとく!』についてあれこれ書いていたのは、何かわからないけれど無性に書きたいという理由が一番大きいのですが、もう一つ、自分が抱いた直感を仮説にしたいという思いがありました。直感って言うのは全く根拠のないものです。根拠がないと言うことは説明不能なのです。例えは悪いですが一種の超能力みたいな物だと思います。信じる人はいるけれど、うさんくさい(笑)。「これってこういう話だよ」「なんで」「なんとなく〜」じゃ他の人には伝わらないじゃないですか。
別にそれでもいいんですけれど、せっかく書きたい衝動に駆られていたので自分が得た直感の理由を探りたいという気持ちになりました。そしてそれに成功すれば必然的に直感が仮説にまでなれると思ったんです。そう。あくまでも仮説です。正しいかどうかはわかりません。しかし、仮説を舐めてはいけない。自分の得意分野の話で言えば、少なくとも私が学んでいた当時は地震などがあった時には一般のニュースでも説明に使われるプレートテクトニクスはまだ仮説でした。それが仮説だと言うことを知ったのは大学に入ってからです。中学、高校では、あたかも事実かのように教わりましたけれどね。プレートテクトニクスが認知されるまでは、今じゃ廃れてしまった地向斜ってのが幅をきかせていました。仮説って言うのはそういう物なんですよ。


話が逸れました。


2005年8月から2008年8月にかけて、このサイトにアップロードされた『ハヤテのごとく!』についてのいわゆる考察記事を追ってみると、直感を仮説にするまでの過程が楽しめます。どこでどういうブレイクスルーがあったのか、どこで道を間違えたのか、どこで袋小路にはまったのか…。他人事として読むと、それはそれでなかなかお目にかかれない面白い思考の過程かもしれないなと思っています。




次に、一部で論議を呼んだハヤテのごとく!テーブルトークRPG説についてです。あの言葉に無理があったことは認めます。別にテーブルトークRPGという言葉を使う必要はありませんでした。言いたいことは、この構造の話はちょっとしたきっかけと細かいストーリーを与えるだけであとは登場人物の気持ちになって書いていけばできるということです。なので…。私の感覚ではテーブルトークRPGを知っていようが知っていまいが実はあまり関係ないのですよ。テーブルトークRPGがどういうものかに興味があるのではなくこの漫画がどうやって作られているか、どうやったら作ることができるのかに興味があるんです。でも、わかりやすそうな言葉が他になかったので使ってしまいました。そして、そのままにしておいた方が面白い方向に話が転がりそうだったので誤解を解くことをしませんでした。すいません。
でも、あの記事をきっかけにTRPGをネットで実際に楽しむという機会に恵まれました。まだ完結はしていませんが、終わったら感想を書いてみようと思っています。


もう一つ。『ハヤテのごとく!』はギャルゲーであるという説に賛同できない理由、それは、この漫画の作りは女の子や恋愛に依存していないというところにあります。『ハヤテのごとく!』がベースにしているのは児童文学だったりラブコメだったりしていると思いますが、こういうスタイルの物語を作るとしたらベースはなんだっていいんです。組み合わせる物語の内容には依存していません。どんな話でもこういう形で組み合わせて作るとハヤテっぽい話になるはずです。そして、その物語では時間の流れが強調され、さらに、生々しい現実感が表現できるはずです。
「『ハヤテのごとく!』はギャルゲーである」正解だと思います。しかし、そう言ってしまうと、広がりが感じられなくなってしまいます。畑健二郎氏がギャルゲーから着想を得てこの漫画を描いているとしても、私は『ハヤテのごとく!』=ギャルゲーとはみなしたくないのです。
そういう枠をはめることによって、この漫画が持つポテンシャルが失われることを恐れています。もしかすると、この漫画の作りそのものに感銘を受けた人が、同じような話を全く別のジャンルの作品として世に出すかも知れません。その時、『ハヤテのごとく!』よりも前に同じような構造を持つ作品はあったかも知れない、でも少なくとも『ハヤテのごとく!』よりあとに創作された作品が始祖ではないと言ってみたいのです。


話が出たのでついでにもう一つ。
読んでいただければわかると思うのですが、私は『ハヤテのごとく!』を漫画という枠組みの中で考えておりません。もっと広い、「創作物」として捉えています。その理由はそもそも私が漫画を読まないって事です。この漫画の持つ「何か」に気づいた時、もしかしたらそれは漫画なら普通のことなのではないかという疑念を持ったくらいです。だから2005/8以降、今まででは考えられないくらいたくさんの漫画を読んでみました。
結果的に、私が持った違和感は「漫画である」ということとは別の所にあることがわかりました。この作品のすごさはメディア、ジャンルを超えています。


TRPGも、ギャルゲー(エロゲー)も、漫画も、おそらく『ハヤテのごとく!』という漫画を手に取らなかったら一生縁がなかったでしょうね。何かを語れるほど詳しくなったわけではありませんが、今の、特にオタクと言われている若者たちが、こんなにたくさんの、ばらつきはあるけれどその中に間違いなく多数存在する非常に高い品質を持つ作品に触れているという事実を知ることができました。




この漫画を読んで感じたようなことを、この先、別の作品で私がもう一度感じるということはまずあり得ません。全く今までと違う物をもしかしたら見つけてしまったかも知れない、そう思えるような作品に出会えるなんてことは、運がよくても一生に一度でしょう。その一度に巡り会えた私は幸せです。


今日の記事の末尾には、この日記に今まで書いた物でこれとこれだけを読めばいいたいことがわかるという記事をリストアップします。そして、いつになるかわかりませんがこの漫画が終わった時、『ハヤテのごとく!』を読み返しながら、そのリストを頼りに自分が書いた物ももう一度読み返してみたい。恥ずかしいことを書いているかも知れないし、そうではないかもしれない。でも、その時が来るのが楽しみでしょうがないです。


もし仮に私が思ったとおりにならないとしても、この漫画のラストでは確実に感動します。コミックス派の読者はまだ読んでいない場面になりますが、ネタバレしても面白さが変わらない作品なので書いてしまいます。現実世界から見ると『ハヤテのごとく!』は『ロイヤルガーデン』みたいな物なんですよね。時間の進み方が極端に遅い仮想の世界。そして、これが不思議なんですが、時間が全く同期していないのに、まるでこの漫画の登場人物が自分と同じ時間を共有しているかのような錯覚を持つんです。その効果を演出しているのが「スーパーハイブリッド構造」だと私は考えています。
とにかく、時間を共有しているように感じている。となると、ラストシーンではおそらくそれぞれの登場人物が物語の中で過ごした時間が強烈によみがえってくるんですよ。そして、その時間はもう2度と繰り返さない……。間違いなく泣きます。号泣します。想像するだけでも涙ぐみそうな勢いです。そういう作りになっていることがわかっているのに絶対耐えられないでしょう。
この漫画が終わる時はそれなりの騒ぎになると思いますよ。






さて、冒頭にも書いたように、実質このサイトにアップロードされる『ハヤテのごとく!』の全体についての「考察」記事は今日でお終いです。個別の話やコミックスの感想は今までと変わりなく書くと思います。でもそれは枝葉です。結果的には個別のストーリーは全体の構造には影響を与えません。でも、枝葉の部分だけでも十分楽しめるので、だからこそ週刊少年漫画誌連載が維持できています。濃い感想も書くかも知れません。毎週の感想もおそらくは引き続き書くことになります。




チラシの裏にでも書き留めておけばいいことをずっと書いていたような気もするし、これからも書いていくと思います。でもこれだけは確実に言える。もし、誰かが読んでくれているというプレッシャーと喜びがなければ、ここまでたどり着いていない。ここに書いて多くの人の読んでもらえたからここまでたどり着いた。




この作品にめぐりあえた幸運に感謝しながら…。
長い間ありがとうございました。







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この記事を書いた時に「スーパーハイブリッド構造」という言葉を思い付いていなかったのが不思議でしょうがない。言っていることは同じ事です。



読書感想文にひさしを貸したら母屋を乗っ取られました。でも、このままにしておくつもりはありません。ひさしにいるやつには別の場所に引っ越してもらいます。この夏が終わったら正常化させようと考えております。