犯罪者とその成果物との線引きについて考えてみる

やっぱりねぇ。そうなるんだよね。俺の考え方ではあり得ない話。犯罪と成果物との因果関係は皆無じゃん。犯罪者が作った物だっていいものはいいんだよ。小室作品がいいかどうかというのは人それぞれ思うところはあるでしょうけれどね。
とまぁ、文句を付けるだけだとつまらないので、ちょっと考えてみます。


まずは極論だ。たとえば人を殺すことによってのみ表現できる芸術があったとしたら、その芸術作品は犯罪者、あるいは犯罪と切り離すことができるかどうか。推理小説とかだとありがちな設定だと思うんですがね。島田荘司氏が作中で言うところの「豊かな脳の犯罪」。余談だけれど「豊かな脳の犯罪」っていう言葉はすごいと思うなぁ。オリジナルが島田荘司氏なのかは知らないですが。
話戻して、たとえば人を殺すことによってのみ表現できる芸術があったとしたら、それはNGだな。うん。法に触れない限り表現できないことは表現すべきではない。仮に人を殺すとかそういう他人に影響を及ぼすような犯罪でなければまたちょっと変わるかも知れないけれど、犯罪の種類によらずNGだな。その作品が世に出なくなるのはしょうがない。


判断が難しいのが、作品を作った人にとっては、その犯罪がその作品をものにするのに必至な条件である場合。平たく言うと、薬。おそらくは薬の力を借りて表現された作品は思っている以上にたくさんあるような気がするので、それをどう扱うかですねぇ。
これは、因果関係証明するのはまず無理ですよねぇ。俺が子供の頃習ったのは「疑わしきは罰せず」という考え方なのでこれはOKにせざるをえないでしょうね。最近は「疑わしきは罰する」という考え方が主流になっているような気がするのですが、考え方変わったのでしょうかね?まぁいいや。


それを踏まえて今回のケース。詐欺のネタにはなったけれど、詐欺行為と楽曲を作った行為の間にはどう見ても因果関係がありません。なので別にOKじゃないの??


「疑わしきは罰せず」とか「罪を憎んで人を憎まず」とか、そういう「きれいごと」が通じない世の中ですよねぇ。それがいいのか悪いのか……。俺はちょっと息苦しく感じますけれど、そう思わない人の方が多数はということなのかな?