矢吹健太朗・長谷見沙貴著『To LOVEる-とらぶる-』5〜8巻 To LOVEる に見る、ジャンプ漫画とサンマガ漫画の違い

8巻まで読みました。表題の件は後半に触れることにして、まずは素の感想から書いてみようと思います。

To LOVEる -とらぶる- (5) (ジャンプコミックス)

To LOVEる -とらぶる- (5) (ジャンプコミックス)

To LOVEる -とらぶる- (6) (ジャンプコミックス)

To LOVEる -とらぶる- (6) (ジャンプコミックス)

To LOVEる -とらぶる- (7) (ジャンプコミックス)

To LOVEる -とらぶる- (7) (ジャンプコミックス)

To LOVEる -とらぶる- (8) (ジャンプコミックス)

To LOVEる -とらぶる- (8) (ジャンプコミックス)

アニメでおなじみのキャラクターがどんどん登場してきましたね。人気投票もやったんだ〜。金色の闇って人気有るんだなぁ。
ララとの別れはここでもう既にあっさりと描かれていたんですね。うまい落ちだと思いました。
古手川唯も含め脱がされまくってますなぁ(笑)。蜜柑も脱がされていたのには笑った。


この漫画ですべて、あるいは設定の根幹部分を知っていて主人公やヒロインにはそれを伝えていない登場人物(私は長老ポジションと呼んでいます)は蜜柑、そしてリトママという状況になりました。ラブコメパートに参加することがまず無理なキャラクターなので適切だと思います。『ハヤテのごとく!』だとその役割分担が崩れる前提なので不安でしょうがないですが、この漫画の場合はそれは無さそうです。
リトママはともかく蜜柑のキャラクターが面白くてねぇ。今11巻までですか?あと3巻でどう変わっていくのだろうか。






と、まぁ、いろいろな感想を持ちながら読んだのですが、どうしても気になることがある。


なーんか物足りなく感じるんですよ。
1話1話を読んで、「あれっ?これで終わり??」と思っちゃうんですね。
なんでなのか、私なりに考えてみました。その結果到達した結論、それは……

  • 偶数ページ数の一話完結ギャグ/コメディ漫画に慣れていると、奇数ページ数の一話完結ギャグ/コメディ漫画では、偶数ページ数のそれ以上に強烈な落ちを求めてしまう

のではないか?と思い至ったのです。


私は今現在ジャンプを読んでいないのですが、ジャンプってみんな奇数ページ数なんですかね?私は偶数ページ数の漫画ほとんどのサンデーとスピリッツに慣れているから、ページをめくったその先に落ちがあることを自然と期待しながら読んでいるみたいです。


おそらく、このページ構成に応じた表現方法というのは存在するのではないかと思われます。
ジャンプだったら見開きで落ちをやるってのがもしかすると多いのかも知れませんし、サンデー、そしてたぶんマガジンでは、逆に最終ページでのどんでん返し効果を狙った作品が増える傾向があるんじゃないかなぁと思います。


ギャグ/コメディパート以外でも、それぞれに応じた表現方法はあるんでしょうねぇ。奇数ページ数の見開き終了パターンは最近あまり読んでいないのですぐには思い付かないですが、偶数ページ数では『ハヤテのごとく!』116話がまさにそれで、あの話、奇数ページだったら全然印象が変わっていると思います。逆に、同じように見開きを使った『ハヤテのごとく!』98話は、もしあれで終わったとしても印象が変わっていないように思えます。
それが多くの人に共有してもらえる感覚なのかはわかりませんが、私はそんなことを思いました。


では、先に進みます。年内には追いつきますね、このペースだったら。