読書感想文 井伏鱒二著『へんろう宿』

とても短い作品でした。5分ほどで読めました。
主人公はバスを乗り過ごしてしまい、遍路岬というところで宿を取ります。その宿には不思議なことに主人がおらず、女中とおぼしき80代くらい、60代くらい、50代くらいの女の人と子供しかいません。宿自体ぼろぼろでいたるところに宿泊者の書いた千社札が貼ってあります。
夜にふと目が覚めた主人公は、隣の部屋から聞こえてくる不思議な話をみみにしてしまいます……。


さて、常々書いていることではありますが……。創作物をジャンル分けするのは主に読み手や売り手の事情による物であって、創作物それ自身に別にジャンルを示すようなレッテルが貼ってあるわけではありません。少なくとも私はそう考えています。推理小説だろうがライトノベルだろうがSFだろうがその当たりの事情は変わりないと思っています。
それを踏まえて、あえて『へんろう宿』という作品にレッテルを貼ろうとすると……。
この小説は、私小説なのだろうか?それともファンタジーなのだろうか……。


素直に解釈すると私小説なんだろうなと私は思います。主人公が(作者が本当に体験したことかどうかには関わらずにね)体験したできごとを粛々と記述しているようにも思えます。しかし、語られる話を読むと、本当のことなのか嘘なのかわからない、あたかもその宿がファンタジーに出てくるような不思議な役割を持っている場所のようにも思えてきます。
主人公はそのファンタジー世界に一時的に迷い込んでしまった、そんな風にも思えてきます。


文学を研究するってのはこういう疑問を解決することなんですかね。疑問を解決するために、作者の来歴をひもとくこともあるし、同じ作者の手による他の作品を参考にすることもある、そして、その作者が影響を受けたと思われる別の作者、作品を参照することもある。そういうことなのかなぁ。
少なくとも、私が一読しただけでは『へんろう宿』という作品にはいろいろと解釈のしかたがあり、この作品で呈示されている条件だけではその正解に行き当たることはできないのではないか、そう思えます。


これも前にどこかに書いたことがあります。
優れた作品というのは、誰もが同じ感想を持ち、同じ解釈ができる作品ではなく、読む人、極端に言うと、その時読む人が置かれている状況によって全く違うとらえ方ができるような作品なのかもしれない、そんなことを思います。