読書感想文 筒井康隆著『着想の技術』

着想の技術 (新潮文庫)

着想の技術 (新潮文庫)

この本の感想というよりも、自分のバックボーンを語るって感じになってしまうな。
私はこういう本をほとんど読まないです。読んでもそれほど面白いとは思えない。だけれども『着想の技術』は筒井康隆全集に確か入っていたので読んだんですよね。


「時間」の話に的を絞って書きましょうか。
この本では「時間の引き延ばし」効果について触れてますが、私にはどうやらそれが「時間を描く」っていう言葉でインプットされていたらしいです。私が「時間」について思い至ったのはこの本を読んでいたからに他なりません。「時間の引き延ばし」で例に出されている作品は正直読んでなかったり読んでも難解すぎて歯が立たなかった作品ばかりです。こういう感じで他の作品を例に出して論を進めていくと、本当に興味がある人にはいいけれど、私みたいな消費するだけの読者は置いてけぼりです。この経験があるので私がここに感想を書く時には極力原典の本以外は引き合いに出さないように気を付けていたりするわけです。でも、筒井康隆には他とは違うところがあります。この本に書かれたことを実作で実践してみているということです。『文学部唯野教授』は一種自伝的な作品に思えるのはそのためです。いえ、全然違うんですけれどね、感覚的にそう思えるという話。
ハヤテのごとく!』を何度も読んで至った結論は、ここで書かれていて、筒井さんが実作で試したような方法が、子供でも読めるような形で、おそらくはそんなことを意識せずに実現されているってことでした。あの漫画では時間が引き延ばされています。


『着想の技術』の技術を読んだ時「時間を引き延ばす」ことに何の意味があるか私にはわかっていませんでした。しかし、今は、それが正しいかどうかは別として、その技法に意味があることを心で知りました。
「時間を引き延ばす」ことによって、その作品を読む人にとってはなぜかその作中時間があたかも実在するかのように感じる。そして、その時間を作中人物とともに過ごしているかのような錯覚を持つことによって、その作品が終わった時に何とも言えぬ切なさを本能的に感じてしまうのではないかと思っています。
今まで多くの人が様々な方法で「時間の引き延ばし」効果を実現しようとしてきたのでしょう。私が知る限り、その多くは難解であり、感動以前に読み解くことにエネルギーを注がなければならない、そんな状況に追い込まれてしまうように思えます。
『着想の技術』を読んだ20年後に『ハヤテのごとく!』を読んで、「ああ、これで壁を1枚突破したな」と私は思ったんですよねぇ。