言語論争は恐らく何も産み出さない

寝込んではいるのだがなんとなく眠れなくてみちゃった。
この手の話はもう飽きた。ネットで個人が情報発信するようになる前からいろいろな話が出ているわけでして……。
「死んだ」っていう言葉の定義が難しいんですよね。私のような職業プログラマーから言わせれば、その言語での仕事の有無がその言語の生死だったりします。そういう意味で言うとおそらく一般では過去帳に入っているRPGなんかも未だ生きている言語なんですよね。絶滅危惧種ではあるでしょうけれど(笑)。
RPGって知ってる??ゲームじゃないよ。俺自身は使ったことがないのですが存在は知っています。つい最近プライベートの後輩からRPGプログラマやってるって話を聞いてぶっとびました。



Perlの仕事が減っているっていうことだったらたしかに死に向かってはいるのかもしれませんが、そもそも私がやっている分野だとPerlだけを使った仕事なんてめったにないのでわかりません。一般的な言語だと今はJavaが多いみたい。


なんか言語仕様がどうのこうのという話になっていますが、言語仕様なんて言うのは正直どうでもいい。どちらが優れているとか言う議論には何の意味もない。でも、どういうアーキテクチャかってことには興味がある。つまり、職業プログラマーとしてはその言語が何に適していて何に適していないかが問題なんです。そして、おそらく今主流となって使われている言語ではある程度のことがみんなできるはず。
それでも、たとえばCOBOLではポインタって考え方が無いからできないことがあったりするわけですね。


からしてみると、言語仕様についてごちゃごちゃいうなら、現実的ではないけれどアセンブラ最強、マシン語もっと最強ってことになっちゃうんですよねぇ。ハードウエアのアーキテクチャをはみ出さない限りは何でもできるからね。
最近は俺自身そう言う感覚が無くなっちゃいましたが、古き良き時代は自分が組んだコードが機械語にどう翻訳されてどう実行されるのかというイメージを持ってコーディングすることがありました。メモリの領域をこういう風に使っているからこうコーディングした方が若干速いはずだとかねぇ。コンパイラがどう動くかわからないから実際にロードモジュールのヘキサ出してみて機械語レベルで確認したりとか(笑)。むろんそうなるとOSの動きも理解しなきゃいけないですよ。煮詰まってくるとそこまで考えないと効率が悪いんですよ。たとえCOBOLでもね。そこまでいくと言語の仕様なんてあんまり関係なくなっちゃったりする。


物を切るのにハサミだけだとできないことややりづらいことがありますよねぇ。カッターとか包丁とかなたとか斧とかいろいろな道具がある。そこに新しい道具を作ってみて多くの人がそれを使うようになったらそれはそれでその道具にも存在意義があるって事になるだけ。でもハサミの方が圧倒的に安価でその道具でできることはすべてハサミでできるんだったらあまり意味は無かったりするけど。ハサミとカッターのどちらが優れているかなんて議論しても無意味です。そもそもその前段階の鋼の優劣についてならまだ吟味の余地はあります。
要は使いようですよ。