『とらドラ10!』予習

とらドラ!10巻の発売日は3/10らしいのですが、既に普通に流通していて手にとって購入した人も多いと思うのできっと感想もネットにあふれているんでしょう。
私は、べつにこだわりはなくなんとなくなんですが、発売日を把握している以上は発売日を過ぎてから感想を書くことにします。

とらドラ10! (電撃文庫)

とらドラ10! (電撃文庫)



もう手元にあるんですが飲みに行ったり出かけたりしていたのでまだ読んでいません。これから読みます。
なので、この機会に乗じて本当は木曜日に書こうと思っていた感想予習記事を書いてみようと思います。ここまで読み進めて、自分なりに「きっとこういう話なんだろうなぁ」と思っていることがあるんですよねぇ。核心部は、10巻感想を書いた後に書きます。たぶんぶれないと思うんですがなんせ単なる予想なので……。
今日のは9巻までの流れを振り返ってみるって感じ。


いずれ書く記事でも同じ事を書くことになるはずなのですが、この物語って「1巻がすべて」って印象を持っています。『涼宮ハルヒシリーズ』とは別の意味で。1巻でこの物語で描きたいことはちゃんと呈示されていて、それを解きほぐすためにいろいろなエピソードを続けていった、って感じに見えます。


まずは、口絵だ。1巻の口絵。そこに書いてある逢坂大河のセリフだ。
「……結局誰も私のこと、わかってなんかいないじゃない」
ここでは大河の言葉として書かれていますけれど、この言葉が持つニュアンスは作中で何度も繰り返し呈示されています。川嶋亜美はもちろんのこと、高須竜児も、櫛枝実乃梨も、自分を理解してもらえない、そんなフラストレーションをためています。
最後にみんながみんなを理解し合って終わるとは思ってないんですよ。むしろ、理解してもらえないことを受け入れるんじゃないかなぁと思うんですよね。


もう1点だけ。おそらくとても印象的で多くの人が覚えている巻頭の言葉です。
おそらくこの作品はとある幸福論を描くんだろうなぁと思っちゃうんですよねぇ。そして、9巻までの流れはそう言う流れ。
亜美の別荘で竜児と大河が語り合っている場面がとても印象的でした。好きな人と一緒にいることを自分自身では願っていて憧れてもいるけれど、落ち着くのは愛すべき日常の方だという現実。


この物語を主にドライブしてきたのは亜美だと思っています。彼女が登場したことによって作中人物たちが自分の本当の気持ちを表に出すようになるんですよねぇ。亜美の視点ではそれはたぶん恩返しなんだと思う。大河と実乃梨、そして、竜児と北村祐作への恩返し。彼らによって亜美は救われたんだろうな。大河には憧れつつも嫉妬してたんだよなぁ。今思うと懐かしいなぁ。


1巻にはもう一つ印象的な言葉があります。そして、その言葉はこの物語の結末に直結しているのではないか、そう思っています。10巻を読んでみて、実際に私が思っているような結末だったのかどうかには関わらず、その短い言葉については触れてみたいと思います。
ああ、あと、「手乗りタイガー」ね。それについては短い文章を個別に書こうと思っています。


と思っているのですが、結末が想定の範囲外だった場合はすべてやり直しになるかも知れません(笑)。でもねぇ。『とらドラ!』はしっかり伏線貼られている丁寧な作りで、かつ非常に追いやすく書かれた小説なのでその可能性は比較的小さいと思うんですよね。
今までとは違う仕組みでできた作品も面白いですけれど、こんな感じの小説ってのもやっぱり落ち着きます。そして、なにより、面白い物は面白い。




さて、読むかな……。