「痛車」


本日手元に届いた「日経マガジン」という小冊子から引用した写真です。この小冊子は日経新聞を定期購読していると月に1回折り込みで入ってきます。
検索してみたら同じ筆者による関連記事がネットにも上がっていました。

ネットの記事と小冊子の記事。同じ事実から導き出した記事であるにも関わらずずいぶんと視点が違いますね。ネットの方は表題にもあるようにマーケティング、つまりはビジネスよりの視点です。小冊子の記事は

ヤンキーとオタクとの和解?

というタイトルから推測されるようにどちらかというと文化よりの視点で書かれています。


私個人は、いわば「オタク体質」みたいなものを持っている人が少なくとも身の回りにはたくさんいる。少なくとも日本という狭い地域で見るとその割合はかなりのものになる。それぞれ方向性は違うけれどマインドは非常に似ていて、自分が好むものに対しては度を超えた入れ込み方をするけれど、興味がない物には全く持って無関心、そして、自分と同じ物に興味を持つ他人に対しては感心を寄せるけれど、細部の違いにこだわってその中で対立構造を産み出すことが多いのではないかと考えています。
マインドとしてはヤンキーもオタクも同じだけれど方向性が違う。もっというと「職人」ってのも同じカテゴリに振り分けてもいいのかもしれないと思っています。なにか一つ自分が決めた道を突き進み誰も到達したことが無いようなところに行きたい、そんな願望を持っている人が多くて、その発露の一つとして「痛車」があるのではないかなぁと思っています。


小冊子の記事の方に面白いデータが出ていました。そのデータ自体が引用なのですが引用元も含め引用します。

専門誌「痛車王」の調査では痛車の七十二%がカスタム(改造)車、二十八%がノーマル(改造無し)車。今も走り屋優勢といえる。

この記事では「走り屋」=「ヤンキー」であって、走り屋とオタクの比率が上記の数字になるという見方をしていてタイトルもそれに沿っていますが、私の感覚ではそれは違う。「走り屋」=「方向性が違うオタク」です。方向性は違うんだけれど、ひとたび別の方向でマニアックになれるものを見つけたらそちらにも走るマインドを持った人がいるってことなんですよね。アニメに興味がない走り屋が痛車を仕立てるかっていうとそんなことはきっとありえないわけで。彼らはきっとアニメも大好きで自分自身がどう思っているかはともかく端から見たら「アキバ系オタク」とひとくくりにされちゃうような存在だろうなと思うんですよね。




さて、ネットでの記事、小冊子での記事、その両方に共通して取り上げられていたのは「版権」問題です。
小冊子の方から引用します。

著作権を持つ漫画出版社の対応は全面協力から黙認、拒否と、まちまちだという。



ところがね。事態はそう簡単なものではすでになくなっているんじゃないかと私は思うんですよね。そして、それはもしかすると2次創作っていうものすべてにいえることになりつつあるのかもしれないとすら思っているんですよ。

ご本人の許可は取ってありますよ。




噂には聞いていましたが
これがいわゆる『痛車』という奴ですか!
いいのか?!大事な車にそんな風なカラーリングして?!

小学館 Webサンデー 漫画家バックステージ 畑健二郎 Vol.183より
ファンサイトでは当時あまり話題にならなかったように記憶しているのですが、私はこの記述をみてぶっとんだんですよ。

リンク先記事でも書いたのですが、
・版権を持つ出版社管轄の場所で
・他ならぬそのキャラクターを創造した原作者が
・2次創作の成果物を公開する許可を得ていることに言及する
ってのは、感情面ではすんなり理解できても、よく考えるととても不思議なことなんですよねぇ。たしかに、読者投稿イラストコーナーで「公開することがあります」って書かれているのは昔からあったような気もするんですが、そういうのとは根本的に違うように思えてならないんですよ。著作権者の力が及ばないところで勝手にやった成果を原著作権者が使用する場合には作った人の許可が必要という考え方。それが発展していくと2次創作にも著作権が存在する、むろん原著作権とのかねあいがあるので全面的な権利というわけにはいかないでしょうが、という考え方にいずれ到達するのかも知れないなぁとすら思えてくるんですよね。私の感覚的にはそっちの方がむしろ自然。著作権者の「協力、黙認、拒否」っていう選択肢ってのがそもそも違うんじゃないかとすら思えてくる。


そんなことを改めて考えさせられる記事でした。




まぁ、私自身は同人ってのには知識がなくて、もしかすると私が思っているようなのどかな物ではないのかも知れないなぁって気もするんですよね(笑)。もっとどろどろに商業よりになっているのかもしれません。それでも夢は見てみたいと思うんですよ。たとえそれが脳内妄想のファンタジーであってもね。知らないって事はたぶん幸せなこと。