『魔法先生ネギま!』26巻感想 契約=生殖? 読者の期待と作品の方向性

魔法先生ネギま!(26) (講談社コミックス)

魔法先生ネギま!(26) (講談社コミックス)

こちらもだいぶ遅れ気味ですが、感想は比較的書きやすいんですよねぇ。今日は2点に絞って書きます。

1.契約=生殖?

いや、エッチな意味ではなくですね。そういう印象を持った。
魔法使いが別の魔法使いのパートナーとなること自体は前に呈示されていたので驚きはありませんでした。でもまぁ実際にそうなってみて思ったのは、魔法使いのパートナー(従者)になる契約ってのは生殖をモチーフにしているのかなぁと言うことです。
仮契約をしてパートナーとなった人は魔法使いであるかないかに関わらずその人がもともと持っていた属性や能力をベースとしたアーティファクトが与えられるみたいです。


作者がそこまで考えているのかというと全く自信はなく妄想かもしれませんが、二人の持つ力をマージして新しい力を持たせるっていうのは遺伝の仕組みに似ているかなぁと思いました。似ているだけで全く同一ではありませんけれどね。



2.読者の期待と作品の方向性

ハヤテ感想サイトで話題になっているんですよねぇ。まさかネギまの感想からリンクを貼られるとは思っていないでしょうが遠慮をしてもしょうがないので……。だってこの流れがこのことを書くきっかけになっているので……。



読者と作者との関係って、特に連載されている作品の場合難しいことだろうなと思うんですよ。『魔法先生ネギま!』もそういう作品の一つです。
ネギまの作品としての特徴は大きく見て2つあると思っています。

  • 女の子がたくさんでてきて、そのほとんどが冒頭で登場していること
  • 物語自体は見た目からは想像できないほどオーソドックス

ってことです。


前者については言うまでもないことでしょう。で、それが後者とつながっていると思うのですよ。おそらく前者の試みって言うのは今まで誰も、あるいはほとんどやられていなかったのではないかと思います。言い換えると作品としてのチャレンジだと思うんですよね。だから、だからこそ、その背後にある物語はオーソドックスである必要があったのではないかと私は思うのですよ。
新しいことをやるということはリスクを伴います。冒頭の設定でそのリスクを侵しているのだから、物語も奇をてらった物にしてしまうとリスクが大きくなりすぎるという判断があったのではなかろうか?と思っています。


そういう考え方を持ったベースには作者が今までヒット作を連発していたということがありますね。作者と作品は分けるべきだと常々思っているのでそれとは反する考え方なのですが……。
かつてヒット作を産み出した作者は次も当然ヒット作を期待されます。しかし、創作者としての作者はおそらく冒険をしてみたい部分があると思うのですよ。冒険の方向性にはいろいろあって、A.読者の意見とは関係なく自分が思うままに描いてみたいという欲望を実現するというのもあるだろうし、B.逆に読者の意見に最大限従った話を進めてみたいというのもある。C.さらに、商業的な成功を度外視した作品を世に問いたいと思うこともあるだろうし、D.逆に外した場合には痛手を受けるけれど商業的に最大限の成功が期待できるような作品を初期コストをかけてでも生み出してみたいという欲望もあるでしょう。
漫画の場合、商業的な成功は宿命付けられているのでCのケースはめったにないと思いますが……。
ハヤテ感想サイトで話題になっているのはAとBとのかねあいだと思います。そこでハヤテとネギまとの間での違いが問題になってきます。っていうか、赤松健さんと畑健二郎さんの違いです。赤松健さんは前にも描いたようにヒットメーカーとしての役割を期待されていて、畑健二郎さんは新人漫画家でそれほど大きな期待をされていたわけでもなく、本人が描いたことを信じるのなら、作者自身も連載が維持できることが目標だったしと言うことです。


もしかすると、皆さんとは異なる意見かも知れませんが、私はネギまはBよりに話を進めていて、ハヤテはAよりに舵を取ることが多いように思えています。ただ、ネギまも人気投票の結果によって出番を増やすなどA寄りの作り方をしていますし、ハヤテは作者があらかじめ決めているエンディングを目指しているという点ではBの要素が強いという見方もできるでしょう。
AとBを完璧に取り違えていました。文脈から想像つくでしょうが……。書き換えます。

私はネギまはAよりに話を進めていて、ハヤテはBよりに舵を取ることが多いように思えています。ただ、ネギまも人気投票の結果によって出番を増やすなB寄りの作り方をしていますし、ハヤテは作者があらかじめ決めているエンディングを目指しているという点ではAの要素が強いという見方もできるでしょう。



ネギまは26巻、ハヤテは19巻と物語の進み方が違うので単純に比較することはできないのですが、ネギまはもう物語の筋立てを変えることができないところまで来ていると思うんですよね。その筋立てで出てくる登場人物を変えることはできるかもしれないけれど大きな流れを変えることはできない。
それに対してハヤテはむろん大きな流れは作者自身が描きたいと願っているので変わることはないですが、読者にとって目立つのは実は小さな流れの方であり、そちらはいかようにもいじることができるという印象を持っています。
ネギまもハヤテも登場人物それぞれが背後に物語を持っているってことに変わりはありません。しかし、描き方の比重には大きな差があります。ネギまはあくまでも王道。本筋を主体に描いています。そして、登場人物それぞれの目的が一致していることが多いです。今の流れだってみんなで元の世界に変えるという目的を共有しているわけでして……。対するハヤテは未だ本筋がイマイチよく見えません。そして、登場人物それぞれは別の目的のために動いていたり目的自体を見いだしていなかったりします。あらかじめ作者が決めていることはあるでしょうが、本筋に影響がない範囲でそれを変えることはネギまに比べれば容易なのでは無かろうかと感じています。




魔法世界編は30巻くらいまで続くんですかねぇ。ここ何巻かでおそらくはこの作品の根幹となる設定が明かされているので、エンディングに向けて話が加速していくのでは無かろうかと予想しています。
ナギの去就が明らかになれば、その時にエンディングを迎えるか、エンディングの準備が整うのではないでしょうか?