読書感想文 ヤマグチノボル著『ゼロの使い魔』17巻 黎明の修道女〈スール〉



物語の多くは神話的な要素を含んでいると思うのですが、私が読む限りこの『ゼロの使い魔』もまさしく「神話」ですね。今日はそういう部分に触れてみたいなぁと思います。


でも、その前に17巻感想。でもその前に、すっかり忘れてしまった16巻の復習を自分が描いた感想文でやってから書きます。


だめだおれ。16巻のラスト読み間違えてた!
サイトは捕らわれてないんだ!


16巻から出てきた美少女キャラ2人がレギュラー化しそうです。一人はジャネット、もう一人はジョゼットです。名前似ていて混同しそうになる件。もともと外国人の名前はよくわからないからねぇ。
まぁ予想通りジョゼットは「担い手」でしたね。で、おそらくジャネットは使い魔。それも口にするのもはばかられるような使い魔です。タイミングがシビアですが、おそらくジャネットはジョゼットの使い魔ですね。ああ、ややこしい、混乱してきた。ティファニアの使い魔という可能性はあるけれどこの作品に限って言うとそれは考えづらい。
作者のヤマグチノボル氏はこういうところがしっかりしている。少なくとも『ゼロの使い魔』という作品に関して言えばしっかりしている。悪く言えば「先が読みやすい」ってことになっちゃうんですが、それをポジティブに表現する言葉を俺は知っています。
「フェア」なんですよね。
推理小説ではフェアかアンフェアかってのが問題になるんですよ。読者に材料をすべて呈示しないで考えることを促すような作品ってのはアンフェアと呼ばれます。代表的なのは双子を使ったトリックで双子であることを想起できないような書き方をしているケースとかね。でも、それを逆手に取ったような作品もありますね。西村京太郎の『殺しの双曲線』とか綾辻行人の……あれ、題名忘れちゃったよ。なんだっけ?山に登るやつ、とかね。詳細はもちろんどんなトリックだったのかすら思い出せないのでネタバレできないので安心して書けます(笑)。


とにかく、ヤマグチノボル氏は『ゼロの使い魔』という作品においてはフェアを貫いていると私は感じています。だから先が読める。
先が読めるのに面白いというのはすごいことだと思いますよ。


17巻の話相変わらずそっちのけですね。


16巻読んで書いた自分の感想を引用しましょうかね。

タバサ母が「3人」を強調していたところからみて、何らかの事情でクラリスことジョゼッドが王家から離れて育っているとみた。そして、彼女をロマリアは手中に収めようと画策している。ってな感じですね。担い手はともかく使い魔がねぇ。特に胸がねぇ。胸つながりでティファニアの使い魔になるのかなぁなーんて思っていたり。だってテファが使い魔を召喚しないのは不自然なんだもん。ルイズ、気付よ!って感じ(笑)。その危険性を知っていると思われるデルフが退場した今だからそれができるっていう流れなのかな?

本編は読み損なっているのに伏線は1点を除いて読み切ってるかな?胸の使い魔が出てくる以上デルフリンガーは退場せざるを得なかったんだろうな。
あと、ジョゼッドの髪の色。なるほどそういう理屈なんだね。17巻で納得した。
あの修道院のモデルはモンサンミッシェルかなぁ。行ったこと無いけど。
http://maps.google.co.jp/maps?ie=UTF8&ll=48.634298,-1.508131&spn=0.011656,0.027509&t=h&z=15


あの2人以外の話も書くかね。
まずはシエスタだ。彼女はこの物語で特別な存在になっていますね。同じ年頃とはいえ貴族に対し遠慮も反感も抱いていない平民です。シエスタの存在が『ゼロの使い魔』が持つ特徴の一つだと思いますね。サイトみたいに特別な功績があったわけではない女の子が貴族と「仲間」になるなんて、この作品の世界ではちょっと考えられないことなんだろうなと思います。
次はティファニア。きついね(笑)。きついよ(笑)。そういえば彼女も王家の血筋を引いているんだな。じゃなかったら担い手にはなれないわけで……。ってことはサイトはこの世界の3つの王家全部に対してフラグを立てていると言うことですよね。ティファニアのをフラグというのかはわからんが……。
意外と好きだったのはエピローグで描かれていたお姫様同士の痴話げんかです。アンリエッタはともかくルイズだってあの世界では十分お姫様ですからねぇ。その2人が一人の殿方をめぐりとっくみあいの大げんかをしているという絵はなかなかいい感じです。


今までは敵側と思われていたイザベラがどうやら力強い味方についたりしてなんとも日本的な展開だなぁと思います。
次巻が楽しみですねぇ。




おっと、忘れてた。冒頭の件。


17巻読んでなんとなくこの物語全体のエピローグが目に浮かんだんですよね。それで「ああ、神話だったんだなぁ」と納得しちゃったんだなぁ。
直接的に書くのもあれなので、ぼやかして書くと、サイトは恐らくハルケギニアの英雄として永久に語り継がれます。そしてルイズもハルケギニアの聖女としてサイトと同様に永久に語り継がれる、そんな終わり方をするのでは無かろうかと思ったのですよ。永久に語り継がれると言うことは言葉を換えると「神になる」ということになります。
ということは……。
そう、そういう結末が頭に浮かんだんですよねぇ。




最後に……。
後書きから引用します。ちょっと長いですけれど……。

ぼくはルイズのすべてが愛おしい。笑うルイズも、喜ぶルイズも、怒るルイズも、悲しむルイズも、涙を流すルイズも愛おしい。
あの誇り高く気高い彼女のすべてが愛おしい。
ぼくはこのヒロインを世に送り出せたことを、誇りに思います。



常々書いてますが、創作をする人というのは創作以外の場所でも演技をしている可能性があります。頭から信じると裏切られる、意図的に読者を裏切ることでなんらかの表現をしようとすることだってあり得ると思っています。


でも、もしこの言葉がヤマグチノボル氏の演技であるとしても、ルイズというのは幸せなヒロインだなぁと思います。作者にここまで思われているんだから……。
むろん作者もおっしゃっているようにイラストを描いた兎塚エイジ氏の力量もあると思います。でも、私自身がライトノベルや漫画を読んでみてわかったのは、単に可愛いデザインってだけじゃそのヒロインの事を好きにはなれないってことでです。そして、私もルイズが大好きです。文字で描かれたちょっとした仕草や表情、それらをひっくるめて初めてルイズが好きになったんです。
私は漫画やライトノベルを読むようになって日も浅いし、それほど多くの作品を読んでいる訳ではありません。なので、ほかにもそういうヒロインはたくさんいるのかもしれない。
でも、これだけは間違いなく言える。
ヤマグチノボル氏が誇りに思うヒロインは少なくとも私の胸には届いています。


ルイズかわいいよルイズ。