文章を書く人の心持ちって真剣に読む人には伝わるのかも……

上に書いたWeb拍手への返事書きながらそんなことを思いました。


巷説百物語』シリーズのどれについてか違っていたら前提自体変わって来ちゃうんですが、もし本家『巷説百物語』だとすると、対象となる記事はとても古いんですよね。2005/9/24に書いた記事です。



ハヤテのごとく!』を読んでしまってから約1ヶ月、暗中模索でいろいろな本を読みいろいろな感想を書いていた時期です。当時はこの日記を読みに来る人、今から比べるとめちゃめちゃ少なかったんですよね。9/24は43ページビュー、書いた翌日の9/25は39ページビューですから。一日でです。更新のため自分が画面を見たのも含めて。9/24には『ハヤテのごとく!』の感想も書いているんですよね(笑)。9/27には一日で12ページビューでした。むろん自分で開いた数回を含めてね。


でも、なんかしらんけれど長文を書き続けていたんですよ。今より長いかも知れません。どうしてそんなことができたのか……。
それは書くことが楽しかったし書きたくて書きたくてしょうがなかった時期だったからなんじゃないかなと思うんですよ。そして、もしかすると、読む人にもそれは伝わっているのかも知れないとも思うんですよね。


上の記事を書いた当時にはまさか読書感想文サイトにもなるとは思ってもいませんでした。実際なかには人に読まれることだけを意識して書いた記事もあるんですよねぇ。おそらくそういう記事って真剣に読む読者からは見透かされているような気がします。逆に、そっけない書き方をしても本気で書いた記事ってのはなんとなく読む人に伝わっているのかも知れませんね。


文章って演技をしていても人がでちゃうような気がする。怖い怖い……。