読書感想文 太宰治著『人間失格』 エゴと偽善と世間



人間失格 (集英社文庫)

人間失格 (集英社文庫)



多くの小説、さらには漫画などにも影響を与えたと言われる『人間失格』、しかし、恥ずかしながらしっかりと読むのは今日が初めてだった。いや、それは嘘だ。しっかりとは読んでいない。正味1時間半くらいをかけて駆け足で読んだ。
子供の頃、読書感想文を書くという作業は憂鬱以外の何者でもなかった。感想文を書くこと自体が憂鬱であったことは言うまでもないのだが、感想を書くため「だけ」になにか本を読まなければならないというのが苦痛でたまらなかった。自分が好きだった推理小説などなら喜んで一日に何冊も読んでいたのに、課題・宿題のために本を読むとなるととたんに陰鬱な気持ちになることができた。
そして、そういう「不純な」目的で読んだ本の内容は、それから数十年経った今、ごく少数の例外を除いてきれいさっぱり忘れ去っている。優れていると言われている文学作品であっても、目の前に立ちはだかる問題を解決するために「読まされた」場合には、その作品の持つ深遠なテーマや、その作品で試みられている狡猾な手法は読んだ人の心には届かないのかも知れない。実際、そういう問題を抱えていない今、改めて読み返すと、そういった作品のすばらしさに気づかされることが多い。


さて、今日の本題は太宰治著『人間失格』の読書感想文である。
この作品が多くの人の心に届き、澱のように沈殿し影響を与えるということは確かにあるであろう。しかし、断片的な情報から私が持っていた印象とは違う種類の影響を読者に与えているのでは無かろうかと思うに至った。




主人公は大庭葉蔵。彼がいくつもの「失敗」を犯してついに狂人となるまでの物語である。余談ではあるが、主人公の名前が作中ではっきりと指し示されることはない。名前と苗字が不自然ではない形で書かれるだけである。最近私が良く読んでいる漫画やライトノベルと呼ばれる小説とはそのあたりが違う。それを「不親切」と感じる人もいるかも知れないが、私はいかにそれを自然に描くかが小説家の腕の見せ所だと理解している。
もう一点、注意しなければならないことがある。この作品には冒頭にはしがき、末尾にあとがきがついているが、それはこの作品の一部として捉えるべきものであろうと私は考えている。だから、この感想文はそれらも含めての感想文と言うことになる。


この作品では、主人公の苦悩が断片的な情報として多く提供されているように思えてならない。むろんそれが心に刺さった人は多いと予想される。しかし、私にとってはそうではない、主人公以外の考えていることが心に強く残った。


「世間」である。


大庭葉蔵はエゴと偽善に満ちた「世間」が見えてしまうが故に狂人とみなされるようになってしまったのではないか。そう思えてならないのである。
その世間が見えてしまうが故に、それと自分との折り合いをつけざるを得ない、そう、それはこの作品の登場人物のほとんどが無意識に取っている行動に他ならない、それを意識して「道化」になって実行することに疲れ果ててしまったのでは無かろうかと思えるのである。
そして、彼はそのことを恥じてもいる。他の人が全く意識せずにやっていることを自分は意識してもうまくできないかもしれない、そんな自分を恥じている。だからこそ、それを見抜いた竹一に恐怖したのでは無かろうか。


人間失格』の主人公、大庭葉蔵は、作中の他の人たちとは明らかに違う価値観を持っている人間である。多くの文芸作品で、「他人とは違う自分」が描かれている。その中には「他人とは違うことを認めてもらいたい自分」が描かれていることもあるが、『人間失格』では、「他人とは違うのに他人と同じになりたい自分」が描かれていると私は思っている。




もし仮に、大庭葉蔵が竹一にだけ見せた自画像を広く世に知らしめたら、彼の人生はどうなっていただろうか。おそらくその醜悪さに「世間」は戦慄し、かといって目を背けることもできず、竹一が言うように偉大な画家になっていたに違いないと私は思う。
それができなかったのが『人間失格』の主人公である。だから、他の作者の他の作品でも同様なのだが、この作品の場合は確実に太宰治自身と主人公とは重ね合わせることはできない。重ね合わせた時点で重なり合ってないことになってしまうのである。
もし仮に『人間失格』が太宰治の自伝的な作品であるとすると、太宰は「醜悪な自画像」を広く世に知らしめて、それによって、死後何十年もの間、多くの人の心に残る、あるいは多くの人を苦しめる作品を残したことになる作家なのだから……。






以下余談。


わりと素の感想を書いてみましたが、ちょっと危険な考え方かも知れませんね。主人公を追って自己完結するだけの感想はおそらくたくさんあると思うので主人公と周辺の関係に的を絞ってみました。でも今日の感想のベースにした考え方を推し進めてしまうと、自分ではなく周りが悪いみたいなところに行きついちゃうかもしれないなぁと思います。あくまでもこの作品で描かれている世界がそう見えると言うだけであって、私自身がそういう世界を夢想しているわけではありません。当然ですけれどね。あくまでも感想文ですから。


結論部分は書きながらの流れで考えたのですが、普段ここに書いてあることと矛盾もしていないし、意外とよくまとまったかなぁと自画自賛です(笑)。他作品への言及もしないで書けましたしね。
ただまぁ、こういう著名な作品、しかも語りたがる人が多い作品の感想って言うのは何をどう書いても「誰かが書いたこと」になっちゃうんでしょうね。そういう意味ではネットで何カ所か回ってコピペしやすいところを選べば簡単に済んじゃうのかも知れませんねぇ。


今日の記事の冒頭に書いた「中学生高校生時代に戻ったつもりで」っていうのは半ば冗談だったのですが、考えてみれば俺が子供の頃はこんな感じで読書感想文を書いていたなぁと思います。ざっと読んでざっと書く。評価なんてされなくてもいいから原稿用紙を埋めるという簡単なお仕事。それも追いつめられてからやっていた。8/23とかにはやってないですね。9月入って提出日の前日にやってましたねぇ。
ダメ人間です……。人間失格かもしれません……。