インターネットとジャーナリズムの終焉

タイトルと内容は頭にできているのですがうまく言語化できないってやつです。おそらく一生言語化できないので書いてしまおう。っていうか書かないと忘れる(笑)。




情報を集め記録し、自分なりの視点で分析して、それを多くの人に知らしめるっていうのがジャーナリズムなのかなぁと思っているのですがどうでしょうか?本気で勉強したわけではないのでそこに誤解があるかも知れないけどね。
それを言っちゃうと話が進まないのでここではそう仮定してみます。


インターネットの普及により情報の収集をすることは以前に比べ格段に簡単になりました。しかし、集まる情報が増えたことによって、逆にその情報の真偽を判別することが難しくなってきました。
かつては、何かを告白、告発したい人は、背景にジャーナリズムという考え方が流れているという触れ込みのマスメディアにその情報を流すという方法を取ることが一般的でしたが、今は違う。自分自身で情報を垂れ流すことができます。
その中には見当はずれの物もあるでしょうし、単に誹謗中傷を目的とした物のたくさんあるでしょう。しかし、おそらくは真実も含まれていると思います。そして、その比率は、かつてマスメディアに持ち込まれていた情報の中での比率とたいして変わりはないのでは無かろうかと思っているんですよね。


そういう生々しい情報だけではなく、一般的に現場でしか得られない情報ってのも今は手軽に居合わせた人が発信できる状況になっています。もちろん伝え方の巧拙は有るとは思いますよ。でもできるかどうかとう視点で見ると「できる」と言わざるを得ません。


一番最初に書いた「多くの人に知らしめる」ってのは誰にでもできるようになっちゃった。んで、実はジャーナリズムを背景とした仕事をしている人はまさにその「多くの人に知らしめる」っていう行為で対価を得ていたってことなんですよね。
対価を目的に仕事をしている人ばかりではないというのはわかっていますが、対価を目当てに仕事をする人ってのは少なからず存在するというのもまた事実。その対価が得られなくなったら、その仕事に就く人の絶対量が減り、その結果その仕事に就く人全体の質が落ちるという流れになるのではないかなぁとシビアに考えています。




言いたいことの半分くらいしか言語化できませんでしたが、今日はこの辺でやめておこう。そのうちまた何か書くと思います。