釣られて恥ずかしいってのは自分の意見がないからなんじゃない?

(駄文にゅうすより)


最近この手の話題には釣られないようにしているのだけれど、ほらまた釣られるって表現した、どうもね、俺の言う釣りって上記記事を書いた人とかよりも幅が広いんだろうなぁと思うのですよね。




嘘の言説で必死になっている反論を引き出して後でそれを茶化すみたいなのが狭義の釣りなんでしょうけど、嘘でなくても、別に嘘であっても構わないんですけど、自分が書いたことに感心を持たせたり、それについて何らかの意見を表明されたりするってのが釣りだろうなぁと俺は思っていたりします。
だから、おそらく狭い定義をしている人には理解しがたいであろう「検索エンジンを釣る」みたいなことを言えるんでしょうね。


広義でいうと、この日記サイトのコンテンツはすべて釣りみたいなもんです。正確性を一切保証してないし、全く無関係な記事をつなげてみたりもするしそれによって検索誤爆が起きたりして大笑いしたりしてます。ええ。ここ数日、誤爆ひどいです。「kkg まとめサイト」なんじゃそりゃ?ここにはないぞと。


しかし、逆の立場になると検索で誤爆したところにウッカリ突っ込んでいくこともよくあります。そのうち検索して自分の日記にウッカリ突っ込んで「ふざけるな」と毒づきそうな気がするんですけれどね(笑)。




まっ、狭義の釣りにおいて、釣られて恥ずかしいと思う時って、結局その記事なりそれを書いた人なりへの反論しかしていなくて、自分自身の意見ってのがそこにない時なのかなぁと思います。元記事の正確性が失われた時点で存在意義を失う記事。自分自身の意見表明が有れば別に恥ずかしくも何ともないし、単にその記事をきっかけにして自分の考えを書きました〜ってだけなんじゃないかなぁ。だったらその記事が狭義の「釣り」であろうとなかろうと関係ないんですよね。