読書感想文 コナン・ドイル著『恐怖の谷』

シャーロック・ホームズシリーズの長編読破が終わりました。いやぁ。新鮮だったなぁ。子供の頃読んだはずなのにちっとも覚えてなかったよ(笑)。




推理小説なので詳細は書きませんが、『恐怖の谷』も含め、長編ものの基本的な構成は時空を越えた物語っていう印象を持ちました。ホームズやワトソンがいる時空があってそこで事件は起こります。しかし、その事件のきっかけになっているのは別の時空、いや、本当はそうじゃないんだけれど読んだ感想としては別の時空と感じるところで起こった事件なんですよね。『恐怖の谷』についていえば、その別の時空の事件の話の方が面白く感じました。うわそうきたか!と思ったもんなぁ。




表題作とは離れますが昨今言われている活字離れって言う話に対して一言書いておきます。


活字離れなんて話は俺が子供の頃から言われていたことでなにも今始まった話ではありません。でも、そういう時代であっても、おれみたいに一時的には活字中毒と言ってもいいような状態に陥る人もいるので個人差はあるだろうなぁと思います。全体として活字に親しむ人が減っているってことを言い表しているだけでしょう。


今回再読したシャーロック・ホームズシリーズは、俺を活字の世界に引き込んだ作品群です。もし子供の頃こういう推理小説を読んでいなかったら、俺自身も今以上に活字とは縁遠くなっていたでしょう。
活字離れの原因の一つには国語教育があるという印象を持っています。


確かに、評価の定まった一流の文章に子供のうちから触れさせることは大事です。それによって開花する才能だってあるでしょう。でもね、もし活字離れとか騒ぐのだったら、まず、読んで面白い文章を読むように仕向けることも大事なんじゃないかなぁと俺は思うのですね。
昨日、酒を飲みながらそういう話をしていたら、「子供の頃クラシックを聴かされても眠いだけで何とも思わず、ロックを聴いて初めて音楽に目覚めたけれど、今になってクラシックを聴くといろいろ発見がある」みたいなことをお話ししてくれた人がいました。
音楽でも文章でも、まず触れる習慣をつけることが大事なんじゃないかなぁと俺は思います。もちろん、文章で言うと過去の名作、音楽で言うとクラシックに触れてもらうことも必要でしょうけど、そうではない、純粋に娯楽として楽しめる作品に触れることも非常に大事なのではないかと思いますね。