ハヤテのごとく! 「スーパーハイブリッド説」ふたたび……



もしかすると来週週刊少年サンデーに掲載される253話が、作者の言うところの暫定最終回かも知れません。その前に一度自分が至った結論を振り返ってみようと思います。




さて、私は表題の通り「スーパーハイブリッド説」だと思っています。決して「スーパーハイブリッド論」ではない。なぜなら、あくまでも『ハヤテのごとく!』という漫画を客観的に見た場合、その構造が私の言う「スーパーハイブリッド構造」にみえるということに気づいたからです。
本当はヒナギクさんの最終回、98話で気づくべきだった。実際には西沢さんの最終回兼スタートラインの116話で気づいたことです。


その「スーパーハイブリッド構造」。非常に簡単な物です。単純きわまりないです。もう一度自分のためにも説明をすると……


たとえば、A、B、Cと3人の登場人物がいると仮定します。それぞれの登場人物はそれぞれ別の物語の主人公になっています。そして、Aの物語、A−1が終わったあと、別のAの物語A−2が始まります。Bの場合も同様です。B−1、B−2……といったたくさんの物語の主人公になっています。もちろんCについても同じです。


スーパーハイブリッド構造の特徴は、それぞれが同期していないことです。A−1が終わるタイミングではB−1が始まったばかりかも知れないですし、C−1はとっくの昔に終わっていてC−2の中盤なのかも知れない。A−1の登場人物としてBがいて、B−1の登場人物としてCがいる。C−2の登場人物としてはAとBの両方がいる。そういう柔軟な構成を持たせることもできます。もちろんある物語にだけ登場するゲストキャラ的な存在を置くことも可能です。
話を単純化するために余り深入りはしませんが、A自身も同時に複数の物語の主人公になり売ります。たとえばA−1の裏でA−1’という別の物語があって、A−1とA−1’では登場人物がそれぞれ違い、当然物語が始まるタイミングも終わるきっかけも別になります。


それを短い一文で表現するとこうなります。


主人公が異なる多数のショートストーリーを順列並列に並べ非同期で描かれる物語をスーパーハイブリッド構造を持つ物語と定義する。




ハイブリッドという言葉自体は借り物で、鉄道車両や自動車のハイブリッドシステムから来ています。順列=シリーズ型、並列=パラレル型の両方を兼ね備えているからこういうネーミングになっています。




文字で書くとややこしいですが、おそらく図解したらほとんどの人が理解できると思う。というかむしろ「だから何?」という感想を持つだけだろうなと思うのです。でも、だからこそ、これがどうやら自分が探し求めていた物なのではないかと思えるのですよね。ものすごく複雑に見える物語だけれど、おそろしく単純なルールでできているのでは無かろうかという仮説を持っていたのでそれにぴったりはまります。




「スーパーハイブリッド」という言葉を使ったのは忘れもしない2007/2/21です。1日2日違っていたら忘れていたってことですけどね(笑)。
それはともかく、まだその時は、ほぼ確実だけれども「仮説」の域を脱していないだろうなぁとも思っていました。しかし、暫定最終回を前にした今、改めて思い起こすと、『ハヤテのごとく!』が「スーパーハイブリッド構造」であることは多くの人から同意してもらえるのでは無かろうかと思っています。


一つ例を挙げましょうか。バックステージからですね。

上記から順序を変えて2カ所引用します。

それがこのシリーズで本格的に出てきた縦ロールの少女
『天王洲アテネ
一番最初の設定では
三千院ナギ』と名付けられるはずだった少女です。

アテネは元々この漫画のメインヒロインとしてデザインされ、
それこそ、この漫画のために作られたキャラクターとしては
ほぼ一番最初に生まれたヒロインです。



ここからは想像の域を出ないことをご承知おき下さい。
作者の畑健二郎さんにとって、連載する漫画のヒロインの記号として「三千院ナギ」という名前があったんでしょうね。でも、その物語は実は複数の物語の複合体であり、当初「三千院ナギ」と名付けられる予定だった「天王洲アテネ」の物語と、今メインヒロインになっている「三千院ナギ」の物語は別物なのでは無かろうかと思ったのです。


そして、もう一つ。

さらに言うなら連載前のタイトル決めの段階で
ハヤテのごとく!』という候補のほかに
もう一つ上げていた候補が『ロイヤル・ガーデン』というタイトルでした。

これも想像です。
作品のタイトルとして『ハヤテのごとく!』の他に『ロイヤル・ガーデン』が有ったという意味で捉えましたが、それはちょっと違うのかも知れない。『ハヤテのごとく!』と『ロイヤル・ガーデン』は別の物語であり、それらを総称してなんというタイトルを付けるかという時に最後まで残ったのがこの2つだったのかも知れないとも思えるのです。




ところで、私にとっては「スーパーハイブリッド」がゴールではありません。むしろスタートラインです。その構造を持つことによって、読者、今まで読んできたどんな物語とも違う体験をすることができるのではなかろうか、そして、『ハヤテのごとく!』が当たることによって、将来的に、それは数年というスパンではなく数十年数百年というスパンでです、『ハヤテのごとく!』的な物語の方が主流になるのでは無かろうか、その仮説を証明することはできないまでもわかりやすく人に伝える手段、それが「スーパーハイブリッド説」なんです。
読者の嗜好に合わせていろいろな種類の物語を混ぜ込むことができるのにもかかわらず、作り手が描きたい物語を表現することができる構造。そして、なによりも、より現実に近い架空の世界を描くことができる方法。それが発明された現場に立ち会えたのかも知れないなぁと思うと押さえようとしても興奮してしまうんですねぇ。






来週の253話なのかどうかはわかりませんが、泣いても笑っても暫定最終回は否応なしにやってきます。そして、これだけ人気が続いていれば、読者が「トゥルーエンド」を読む日もいずれはやってくるはずです。


私がこの漫画に入れ込んだ理由の一つとして、「終わりが決まっていることはわかるのに、その終了条件がさっぱりわからない」ということがありました。
しかし、今はそれも理解の範囲内に収まります。


スーパーハイブリッド構造だからしょうがないんです。当たり前なんです。なぜなら、細かい伏線は張り巡らされてはいるでしょうが、直接「トゥルーエンド」に到達するためのストーリー自体はまだ始まっていない可能性があるのです。


果たして、この作り方が、畑健二郎さんが世界で初めて物にしたのか、あるいは私がしらないだけで遠い昔に先駆者がいたのか。それはまだわかりません。私は読書好きを標榜する人なら普通は読んでいるような本をことごとく読んでいないんですよね。だから、もしかすると当たり前のことをさもありがたそうに書いているだけなのかも知れない。
しかし、それでも書きたい気持ちを抑えることができなかったし、偶然たまたま書く場所がありました。それが恥を書くだけで終わるのか、幸運な偶然だったと振り返ることができるのか、あるいはこれが一番可能性高いですが大勢に影響がないのか……。結果が出るのは私が死んだあと。百年くらい先の話ですね。生きている間はおそらく楽しめるでしょう(笑)。