『グインサーガ』と『ハヤテのごとく!』

読みました。読んでしまいました。


作家、栗本薫の手による『グインサーガ』の最後の瞬間に立ち会ってしまいました。




グインサーガ』最終節の感想を今語ることはやめましょう。おそらくはネット上に感想があふれているだろうし、俺よりも思い入れが強い読者もたくさんいるはずです。


今日のこの記事で書きたいこと、それは表題の通り『グインサーガ』と『ハヤテのごとく!』についてです。




まだ自分なりの結論に達する前、『ハヤテのごとく!』を今まで自分が読んできた別の作品と比較してみるという作業を脳内で繰り返していました。今まで読んだ小説や漫画とどうも根本的に違うような気がするのだけれど、もしかしたら見落としているだけでよく似た作品もあるのかもしれない、そんな望みを捨てきった訳ではありませんでした。


その時、一番近いなと思ったのが『グインサーガ』だったのです。何がどう近いのかはわからなかった。でも、本能的に「似ている」と感じたのが『グインサーガ』だったのです。


最終巻の解説を読んでようやくその理由がわかりました。
グインサーガ』と『ハヤテのごとく!』。その両者は、架空の時空を舞台とした架空の登場人物が送る人生を読者が追体験しやすいという意味で似ているんですね。




両者ともに主人公が誰なのか?ヒロインが誰なのかがわかりづらい作品です。場面場面で登場人物の役割がころころ変わります。『グインサーガ』の方がよりダイナミックに変わっていますね。物語が始まった頃のことを思い出すととても昔の出来事のような気がします。それは、その間に架空に世界で何が起こったのかを、架空の登場人物がどのような人生を送ったのかを読者が知っているからに他なりません。


しかし、それでも両者の間には根本的な違いが有るような気がしてならないのです。読んだ時期のせいもあるのかもしれませんけど、『ハヤテのごとく!』に感じた恐怖を『グインサーガ』には感じることができなかったんですよねぇ。




自分自身でも論破できるレベルの考えなので、間違えている可能性が高いと思うのですが今のところ俺はこう考えています。



そこに原因があるのではないでしょうか?
グインサーガ』の方が謎や秘密は重いのです。『ハヤテのごとく!』のそれは軽い。『ハヤテのごとく!』の場合は、謎や秘密は別の登場人物にとっては謎でも秘密でもないことがほとんどです。




俺が『ハヤテのごとく!』に対して抱いた本能的な恐怖心は、柱となる謎や秘密、あるいは目標がなくても、娯楽として楽しめるレベルの物語を作ることが可能であるという、本能的に持っていた自分自身の常識ではとうてい納得できないことが起こるのではないかということに対するそれだったのかなぁとも思えるのです。