ハヤテのごとく!265話感想2日目 反省会と繰り言



ゴールデンウイークの話が265話で終わりなのかを確認するために、昨日は記事を書く前に読んだのですけれどね。




冒頭のアテネのイラストを見ると、もしかしてもう出番はないのかなぁとか思っちゃったんですよねぇ。実際の所はどうなのかは統計取れるはずもないのでわからないのですが、アテネヒナギクは人気を2分するように思えてならないんですよね。2人とも散っちゃった。ラブコメ的な意味で(笑)。


予想が外れて悔しいから書くわけではないというと嘘になりそうな気がしますが、アテネに用意されていた「理事長」という設定やら、ハヤテの兄の存在やらで、今後アテネが2度と『ハヤテのごとく!』に出てこないと言うのは考えづらいのですが、主要登場人物からは一歩引いた存在になる可能性はありえるんですよねぇ。
あたらないなぁ。だめだなぁ。反省してもしょうがないのだけれど反省。


これを言っちゃお終いなのですがね、友人とも酒飲みながら話すんですよ。「畑健二郎はいったいなにがしたいんだろう?」と(笑)。
いやね、理屈ではわかっているつもりなんです。俺は。でもどうしても理解できないんですよ。ネガティブな意味じゃなくてさぁ。なんというか、ああ、これもずっと前から書いているな、その、今まで読んできた漫画やら小説やらである程度把握しているはずのパターンを、うまいこと当てはめることができないんですよね。
個別の話を読むといろいろあてはめることができる。全体を見るとあてはめられないんです。
「安心して読める」というのとは全く正反対な感覚なんだよな。


265話を読んでふと思いだしました。『ハヤテのごとく!』は終わりが決まっている、その終わりに向かってある程度きっちり話は出来上がった状態で連載がスタートしているというのは、そもそもは俺の感覚的な仮定だったんだなと。「使用人たちの夜」というただ1話からそれを類推しただけであって、何の根拠もない仮定だったんだなと。
ところが、BSで作者が「トゥルーエンド」の存在を明かしてしまってそこでパニックに陥ったんだなぁ。その存在こそがこの漫画が持っている最大の秘密だと思っていたので……。いかにもとってつけたような設定やプロットを綿密な計画に基づいて作品に仕立て上げていくっていうのがこの漫画で作者がやりたいことなのかなぁと想像していたんですよね。そしてそのことが連載中に明かされることは無いと思っていました。「後付乙」みたいな楽屋落ちがあったらむしろその設定に破棄をつけた方がいいくらいに思っていたんですよねぇ。


265話はおそらく連載開始当初から予定していた話なのでしょう。「回避不能な強制イベント」ってやつですか?
ハヤテのごとく!』には、この先もそういう話が用意されているでしょう。数え方が難しいですが、あと1回か2回分用意されているらしい暫定最終回はやっぱり回避不能なんでしょうね。普通の漫画、作者なら、どの話がそれにあたるのか推理するのも楽しみの一つなのですが、この漫画の場合は作者が進んでばらしてしまうからなぁwww。
次のイベントまであとどのくらいかかるんでしょうかね。そして、そこには今回退場したように見えるアテネはいるんでしょうかねぇ。