魂のない文章に人は感動できるのか?



まぁ、そんなもんだろうなぁと思うのですよ。そのことの是非について云々したいわけではない。




そうやって商業的に成功するため「だけ」に作られた本が、その本の中に書かれている文章が、いったい何の役に立つのかということを考えてしまうのですよね。
本当に役に立つ文章なら、おそらくは10年経っても20年経っても色あせずに残ります。ビジネス書という特性から言って、書かれたその時の「現代」が背景にあるとしても本当に価値がある文章なら、その背景が変わってしまっても残ると思うんですよね。
半ば機械的に産み出されていく「ビジネス書」の行く末を考えると暗澹たる気持ちになります。


ところで、リンク先の記事、2つの内容が混ざっている様な気がしています。
冒頭の

ビジネス書といえば「報告・連絡・相談の仕方」「プレゼンテーション」「ライティング」など、さまざまなテーマがある。

ってのは、ゴーストライター云々ということがわりと少ないのではないかなぁと思っています。ビジネス書というより実用書ですから。
それに対して

「○○社の社長を著者にして、○○というテーマの本を今年の夏に出すことになりました。つきましては、口述をお願いできないものでしょうか?」

の「○○社の社長を著者」っていう部分がゴーストライター云々が効いてくるところでしょう。つまり、人の名前、そして多くの場合成功者の名前をキーにして本を売ろうとしているんですよね。
こういう場合出版社は「確実に儲かる」という話を聞いたことがあります。往々にして成功した経営者には自己顕示欲名誉欲が強い人が多く、自分が著者となっている著作を社員や取引先に配ったりすることもあるらしく一定の需要が約束されているらしい。
全部が全部そういう事ではないとおもいますが、実際にそういう局面に立ち会ったこともあるので全くの嘘というわけでは無いことは知っています。うちにもその手の「買ってない」本が何冊かある。


生きていくのは大変だけれど、生きている証を残すのはもっと大変。本を作ることによって生きている証を作りたいのかも知れませんが、魂がこもっていない本はそれになるのでしょうかね?そもそも、魂がこもっていない本を読んだ人はその本に感動できるんでしょうかね?


そうは思えません。