読書感想文 うみねこのなく頃に Episode1

今さらながら……。Episode2以降はまだ読んでいません。その状態で感想文を書いてみます。




ひとことでまとめると「面白かった」ってところですね。解決編が用意されていない、というか、解決編は読者自身が用意するタイプの推理小説だと思いました。
そう。これは紛れもなく推理小説。私にはそうとしか思えません。


私が推理小説を読み始めたのはかれこれ30年くらい前になりますかね。当時から言われていたんですよ。トリックの枯渇、そして捜査技術の進歩、そして科学技術の進歩によって、推理小説というジャンルは袋小路に入ってしまっているのではないかとね。
実際、最近の推理小説ではいわゆる「叙述トリック」が多いです。犯人が自分の犯行を露見させないために探偵や警察を罠にはめるのではなく、作者が読者を罠にはめるタイプのトリックですね。それはそれで決して嫌いではないですが、結局の所、そのトリックを記述するのであっても「嵐の山荘」的な仕掛けを用意して高度な技術の介入をある程度防がないと成立し無くなっちゃっているんですよねぇ。


その問題に対する答えの一つは、私が読んだ本の中で言うと、先日無くなられた栗本薫氏が提示しました。
架空の世界を舞台にした推理小説です。
現実ほど科学技術が発展していない世界、「魔法」が使える世界、まず、そういう舞台装置を用意して、そこで起こる事件を推理する、それによって最低限のリアリティを確保するという方法です。
考えてみれば、事件の舞台を現代ではなく過去に求めるというのも、その一つの方法なのかも知れません。


推理小説というのは難しいジャンルで、リアリティがないと読者に受け入れられないけれどリアリティを追求すると「推理」の部分が薄まっちゃう様な気がするんですよねぇ。そのいい例が「社会派推理」だと思うんですよね。


さて、相変わらず推理小説について書き出すと長くなることがよくわかりました(笑)。『うみねこのなく頃に』に戻りましょう。


この話、舞台装置はいわゆる「嵐の山荘」に他なりません。そして「皆殺し」ものです。『そして誰もいなくなった』とか『十角館の殺人』と同様です。
しかし、『うみねこのなく頃に』にはもう一つ要素が用意されている。それは魔女、ベアトリーチェの存在です。その存在があるが故に、ファンタジー要素を持ち合わせることになっています。ベアトリーチェとはいったいなんなのか?存在するのか、あるいは概念的な何かなのか、はたまたある人物の犯行が露見することを防ぐために利用されているだけなのか。そのことによって謎は深みを増しています。


そして、もう一つ気づいたことがある。それは文字だけではなかなか出せない効果です。
何が本当で何が嘘かがわかりづらい、読者の視点からは判断しづらい、ということです。
推理小説では「地の文に嘘は書かない」というルール的な物がありますが、その地の文がどこなのかわからないんですよね。絵があることによってすべて一人称視点に見えてくるんですよねぇ。


そんなことを思いながら読み進めてみましたが、謎についてはさっぱりわからん。真里亞のいう「ベアトリーチェ」が何を指しているのかってのがポイントなのかなぁとは思いましたが。彼女が嘘をついているという可能性もあるし、彼女が本当のことを言っていたとしてもベアトリーチェが人であるということはどこにも書いてないんじゃないかな?


夏休み中に手元にあるEpisod4まで読み進めることができるかどうか、まぁ、やってみます。