重大発表

いよいよ明日ハヤテの重大発表があるらしいっす。普通に考えれば映画化だよなぁと……。もしそうなら、よっぽど実写化の方がびっくりしたよ。ありえねぇもん。


それにあやかってと言うわけではないですが、私からも重大発表をさせてもらいます。
































うそです。何も発表することなどありません。
















もしかするとこういうことばっかり書いていると何を書いても信用されない狼少年ならぬ狼中年になっちゃうぞと心配して下さる方もいるかもしれませんが、俺の意識では、このサイトで信用されなくなっても別に構わないし、むしろ「決して信用してくれるな」と言いたいんですね。
こんな感じの明確な嘘ならともかく、思い違いや思いこみによる間違えた情報だってたくさんあるはずです。気づいたときには恥ずかしくて消えたくなるのですが「一度書いたことは取り消せない」ので放置しておくより他はなく……。もちろん他者に良くない影響を与えるような記述はまずいと思ってますがね。
俺は、信用するしないってのは読者自身が判断すべきことだろうなと思っています。別にこのサイトだけではなく、極端に言えば報道だってそうですよ。誤報があったとしても、その誤報に踊らされなければ何の問題も無いです。むろん報道の場合はそれによって被害を受ける人も多数いらっしゃるので、単純にそうとはいいきれない部分もありますけどね。
「信用する」っていう言葉の響きは美しいですが、それが「信用していたのに……」に変わった瞬間に、責任を他者に預けるというマインドが見えてしまうように思えます。信用したのは他ならぬ自分であるはずなのに、まるで、その信用を提供した相手が悪いかのように責任を転嫁してしまうんだろうな。もちろん、心のバランスを保つという意味ではそういう考え方は必要ですが、いつもいつもそんなことばかりを言っていたら身が持ちません。きっとお金も持ちません。だまされ続けてしまいます。


比較的人を信じやすいと言われている子供向けの記事も行きがかり上書いているのですが、そっちの方はめちゃ難しいですねぇ。そういう考え方を伝えたいのだけれど、逆にそういう考え方に染めてしまうんのではなかろうかという恐怖も頭をもたげてきます。


この日記に書いた記事のどれが信用できてどれが信用できないのかは読む人個人個人が個々の記事について判断して下さればいいんですね。書いている人を全面的に信用したり、逆に正しい情報までも調べもしないで「書いている人が信用できないから絶対間違えている!」と断じてくれなければそれでいいんじゃないかなぁと思っております。