魔法少女まどかマギカ 10話11話12話 感想 セカイ系と超越者

話題になっているらしいという話が俺にまで聞こえてきたのでよほど話題になっているのだろうなと思っていたところ、地震の影響でまだ放送されていなかったので録画してみてみました。
9話までは全く見ておらずそこまでのあらすじを想像しながらみたのですが……。


この作品は話題になってしかるべきだし話題にしたかったんだろうなぁと思うし話題になってよかったねぇと思いました。




くどいけれど10話以降しか見ていません。おそらくは推理小説で言うところの解決編だけ見ているのでしょう。そこに至る過程をみていたら全然違う感想を持つのかも知れません。もっと評価が高くなる可能性もありますけど、興味を持っていない可能性もあります。


この物語にはいくつかの要素がありますね。一つは、ゲーム的、というと語弊があるかも知れないですが、やり直しのきく世界という発想。それとは逆に、やり直しがきかない世界という要素もある。その両者を結びつけているのがほむらですねぇ。彼女は、思い描くエンディングを実現させることができればやり直すことができる。しかし、あくまでもやり直しであって、思い描くエンディングをデザインすることはできない。
別の要素としては超越者ですね。個人的に、この発想って日本を含む宗教が卓越していない地域ならではの発想だと思うんですよね。特定の宗教が根ざしている地域でこういう作品を発表したら、神を冒涜した!みたいな話になっちゃうと思うんだな。言うまでもなくキュゥべえがここでいう超越者です。
そして、背景に「特別な力を得るためにはそれに見合う代償が必要である」という考え方があります。何の代償もなく力を得ることはできない。もし仮に自分がその代償を払っていなかったとしたら、他の誰かがそれを肩代わりしているという考え方ですね。


こういう作品の場合、「事件」が解決したとしても、物語が始まる前の日常に戻るのは極めて難しいですよね。実際、この作品では、主人公のまどかが日常を捨てて超越者をも超える存在になることによって問題を解決しました。新しい神が生まれたとしか言いようがないエンディングでしたねぇ。一種の新宗教の創設を描いた作品といってもいいでしょうね。まどかが起こした奇跡は作中ではリアルであったわけですから。




この作品に「やられちゃう」人はそこそこいると思います。容易に想像はできます。俺自身、この作品と考え方という面ではかなりかぶっている『…‥絶句』にやられちゃってますから。

一人あるいは数人が世界を救う、あるいは一人あるいは数人が世界を作るみたいなのがセカイ系って言われる作品なのかも知れないけれど、そういう筋立ての話に最低限度のリアリティを持たせるためには超越者の存在って必須なのかも知れません。そして、その超越者はすなわち神であるという発想にとぼしい国民性が、セカイ系と言われる一連の作品を産み出すことができた下地になっているのではないでしょうか?