若者がクルマ離れを起こしたたった一つの理由



後半はタイトルと全く関係ない話になっていますが……(笑)。ああ、他人の事を笑える立場ではないなwww


このネタは友だちともよく話すのですが、俺にはたった一つの明確な理由しか見えないんですよね。
その理由とは。




自家用車がコモディティ化してしまったから。




俺が子供の頃、「商売で使わない」自家用車を持つという事は豊かさの象徴でした。言い換えると「成功者の証」でした。
だから、クルマを持っている人にあこがれていたし、クルマそのものにもあこがれていた。今になって思うと、実用性に乏しいクルマによりあこがれていたのかも知れませんねぇ。無駄に速く走るクルマ、無駄に装飾されたクルマ、無駄に大きいクルマ、無駄に頑丈なクルマ。そういうクルマにあこがれていた。


しかし時は流れました。
クルマはその気になれば誰にでも買えるものになってしまいました。俺だってもってるくらいだからね。そして、一部の地域に住む人以外にとっては生活必需品になってしまいました。クルマを持たない人がむしろマイノリティになってしまった。
「住む場所がないからクルマの中で生活をする」という、俺から見るとあり得ない状況に陥っている人すらいる。住む場所がないひとがクルマを手に入れられるはずはない、という意識がまだどこかに残っているのですよね。
そういう社会でのクルマはもはや夢のある商品ではないのですよね。近所のスーパーまで気軽に買い物に行けて、買った商品をたくさん詰め込めて、家族+αの人数でそれなりに快適に旅行に行けて、かつ、壊れずランニングコストも安い、そういう「実用的な」商品選択をするようになってしまった。
そこには夢はありません。
最近のハイブリッドカーブームはそこに風穴を開けましたが、それもいつまで続くかは怪しい物だなと俺は思っています。
実用面で支障がない商品を、新しい、それもキャッチーな技術を使って手頃だけれど他よりはちょっと高い価格で売り出した、そういうマーケティングセンスの勝利であって、社会を変える何かにはまだなり得ないと思います。
社会が変わるとすると、電気自動車の普及まで待たないといけないでしょうね。ガソリンスタンドというインフラがレガシー化して、新たに充電スタンドが幅をきかせる社会になりますから。


話が逸れました。


そして時はさらに流れます。
今はまだそうはないっていないけれど、情報通信網の発達によって、多くの地域ではクルマが無くても生活ができるようになってしまうのでしょう。大きなショッピングセンターで買い物をするよりも、自宅でクリックして買い物をする社会がそう遠くない将来実現します。いや、今でも実現しているけれど、そうする事が普通の社会になる、と言った方が正確ですね。
その場に行かなければならない局面というのは確実に減ってきます。そうなると移動手段に対する需要は当然少なくなります。


つまりは、豊かになったから、便利になったから、若者だけではなく、多くの人、その世界ではエンスーとか言われるけれど今の時代一般的にはオタクとも言われるような人たち以外にとって、クルマというのは単なる消費財になった。歯ブラシとか洗剤と同じようなものになってしまった。それがクルマ離れの理由なんだろうなぁと思います。




ところで、タイトルに「たった一つ」と書きましたが、もう一つ容易に思い付く理由がありましてね……(笑)
任意保険です。
リスク細分化とか言うのが幅をきかせたのが理由なのかどうかはわかりませんが、若者がクルマを買って運転するにはあまりにも高すぎる。俺が初めて免許を取った頃に比べると突拍子もなく高い。通勤などでどうしても必要な理由がなければなかなかクルマを使うという選択をしづらいですよね。
経済的な理由はもう一つあるな。どんどん増えてくwww
免許を取るのに必要なコストも高くなってますよねぇ。




まぁねぇ。。俺が言いたいのは、若者のクルマ離れの理由についてもっともらしいことを言う人が多いように思えるんだけれど、その実はとっても現実的な理由しかないんじゃないかなぁということなんですよね。今の若者たちのマインドが変わったわけじゃないと俺は思うんですよね。