2011年を振り返る

振り返るもなにもあったもんじゃないんですけれどねぇ。




年末のこの時期になると「今年のX大ニュース」みたいなことがよく取りざたされるけれど、今年に限っては一つしかないんですよね。少なくとも俺にとってはね。




ちっぽけな人生観なんて簡単に吹き飛ばされた強烈な自然現象でした。




最初に書いておくと、誤解を恐れずに言えばなんてことはいいませんのでどんどん誤解をして下さいね。言葉で真意が伝わるなんて事は無いと思っているので。真意を伝える義務も責任もないし、真意を受け取る必要性もないでしょうしね。


幸運だった、と言う思いを捨てる事はできないんですよね。


そこには2つの意味があります。
1つは、生きながらえて幸運だったと言う思いです。そこにはもちろん生きながらえる事ができるだけの、オーバースペックと言っていいレベルに達したインフラを整備してくれた、今でも整備してくれている人たちへの感謝を忘れてはいけないとも思います。
もう1つは、これだけ大規模(人間の尺度からみれば、という前提ですが)な自然現象を体感できたという幸運です。日本列島という自然現象が起きやすい所に拠点を置いているとは言え、この分野の自然科学に興味を持つ人間にとって、これだけの現象を比較的近くで経験できるというチャンスは一生に一度あるかないかですから。こういう現象が起きると実際にどういう事が起こるのか、もちろん過去の事象を詳細に調査した結果は残っていますが、本で読むのと実際に体験できるのとでは全然違いますね。興味がある一般人にはこの経験を糧にして何かを残す事は難しいですが、研究者にとっては本当に興奮するできごとだっただろうなと思うし、様々な成果が残るはずです。もちろんそうはならない研究者もいるとは思いますけれど。


とまぁ、こんな幸運に恵まれたにもかかわらず……。冒頭にも書いたように、人生観が吹っ飛ぶほどのショックを受けたんですよね。
こういう現象が起こったら、そのメカニズムとか、この現象が及ぼす影響について考えるのが普通だと思っていました。他の人にとっては異常かも知れないけれど俺にとってはそれが普通でとても自然な事と思っていました。
しかし、実際には、自分や家族や自分が生活する地域の人たちや自分につながる人たちやそれぞれに紐付く財産が心配になってしまいました。なんども繰り返し書いていますが、当時働いていた職場にはテレビがあって、揺れが落ち着いたらとりあえず情報収集に行ったんですよね。そこで震源を見て、何が起こったのか、そして直近で何が起こるのかはざっくり把握した。それが一生に一度あるかないかのレベルの現象である事も想像ができました。その時、やっぱり自宅に連絡する事を試みたんですよねぇ。そして、なんとかして自宅に戻る方法を考えた。もしこうなったら連絡しても無駄だ、落ち着いてから歩いてでも戻ればいい、すぐに移動をするのは愚の骨頂である、家族の中でそういう段取りをつけていたにも関わらず、そんな行動を自然にとっていた。後から考えると……、とても意外な行動です。こんなはずではなかったのに、という思いもあります。


とにかく、そんなわけでプチ被災者にはなりましたが、亡くなられた方、大きな被災をした方にかける言葉は見あたりません。なにを言おうとしても俺自身が忌み嫌う評論家のような口調になってしまいます……。
なんにしても、現地の人たちはすごかったと思います。自分がそう言う立場に置かれたらそういうことができるのかなんてことはわかりません。実際にその現場に身を置いて初めて自然に出る行動なんだろうなと思います。前々からこうしよう、などという計画は吹っ飛んでいたんじゃないかなぁと思います。日々の訓練で自然に出来た行動とか、とっさの判断で防がれた危機は話題にはならないけれどたくさんあるんじゃないかなぁと想像しています。




この災害が大きな痛手を残す事に間違いないですが、これをきっかけにして新しいメカニズムの社会が産み出される可能性もあると思うんですよねぇ。それは、低エネルギー消費社会です。生活レベルは落とさずに消費するエネルギーを落とす技術。それはまたガラパゴスと揶揄されるようなこの島国独特の社会になるのかも知れません。考えてみれば、今までに多くの災害などに見舞われて、多大なる犠牲を払ってきたからこそ、規模から類推されるよりは小さな被害ですんだんですよね。そしてこの災害を糧にして、次に、それがもうすぐなのか100年後なのか1000年後なのかはわかりませんが、次に大きな自然現象に晒された時には、もっと小さな被害で済むようにしなければならないと思うし、過去の実績をひもとく限りそうなるんだろうなと思います。








続いて、どうでもいいことですが、この日記の1年を振り返ってみます。


なんか去年までとは別の所にきたなぁと。
ステップアップしたのか、終わりの始まりなのか既に終わっているのかはわからないけれど、去年までとは違いますねぇ。
まずは、自力で(大手サイトからのリンクに頼らずに)1日10000PVを達成した事。目標の一つだったのでクリアして良い気分です。
放置していても人が来るサイトを作ろうと思っていろいろやってましたが、その仕掛けを作り始めてから5年目でようやく一つの数字を出してくれました。
もう一つ、メジャーwwwwデビューってのがありました。
今回のYahoo!とか、ネットでメジャーな企業などが運営しているサイトからのリンクをもらったらもうこの日記はいいかな?と思っていましたがそれも実現してしまいました。リンクしてもらったのは思い入れがあるけれど納得いかない結果になった記事なので微妙な思いではあります。メジャーからのリンクが有れば何かが変わるのかなと思いましたが別に何も変わりませんでしたね。忙しくて書く頻度も落ちてますしねぇ。








この記事ではここまで意図的に2つの単語を使わずに書きました。それは、「地震」と「津波」です。
高度に情報化が進んだ社会を襲ったこの災害では、それに紐付くかつてないほど大量のコンテンツが産み出されました。それも、今までならコンテンツを産み出す事などできない、俺を含む市井の人々によって記録が残されました。もちろんデマや思いこみによる誤った情報も大量に存在するでしょうが、それを上回る分量の本当の生情報も産み出されたはずです。そのことによって何が変わるのかはまだわかりません。もしかすると何も変わらないのかも知れません。
それを産み出した人々はそれぞれに思いを持っているのでしょう。そしてそれらの間には決して相容れない思いもあると考えるのが自然です。俺の場合は……。特に思いがあったわけではなく、取り付かれたような、熱に浮かされたような状態だったなぁと思います。




2011年が終わります。
長かったような、短かったような……。特別な1年でした。