クオリティを維持する事の難しさ

土曜の夜にいつものようにほぼいつもの面子で飲んだ時、ちょうどその話になりました。ずっとある一定の品質の作品を出す人ってすごいよねー、って。もちろん話は拡散するわけで、業界の事情とかもろもろの話題になったような気がするけれど断片的にしか覚えていません(笑)。


というのが頭の片隅にあったのですよね。


昨日書いた3本の記事、ひどい。




ひどい記事はたくさん書いているんですが、昨日書いた3本の読書感想文はそれぞれ違う方向で思い入れがあったのでちゃんと書こうと思ったのですよ。なのにちゃんと書けてない。日本語ボロボロだし、そもそも書こうと思っていた事の半分も書けていない。


どうしてこうなった。




もちろん、誰かに評価してもらったわけではなく、自己満足の世界ですが、そもそもが自己満足で書いているはずのこの日記で自己の満足が得られないと言うのは致命的です(笑)。


経験上、文章ってのは量を書くといつのまにかそこそこの物が書けるようになると思っています。最近はこの日記に長文を書く事もめっきり少なくなりましたのでそれが原因の一つとして思い当たります。
あとは元ネタを読んでから書くまでの時間が短すぎたというのもあるかもしれません。一番前に読んだ作品でもたかだか2週間前に読み終えているので咀嚼し切れていないんだと思うんですよね。
とはいえ、読んだ直後一気に書いた感想がその当時は気に入らなくてもう一度書いてはみたものの、後で読み返すと短時間で書いた文章の方がわかりやすくて伝わるような気がするんですよね。
一気呵成に作った物の方が悩み抜いて作った物よりも洗練されていることって、仕事でやっているプログラミングでもよくあることです。なので一概には言えないですよね。


文章を書くプロの人は、決して突出はしていなくても、ああ、もちろん突出したものの場合もありますけれどね、ある一定のクオリティのものを継続して書けるんでしょうね。それこそ息をするみたいに……。
プログラミングの場合はまずはコンピュータがチェックしてくれてその後自分、あるいはチームメンバー、あるいはお客様がテストをしてくれる事である程度の品質を確保する事が出来ます。
本になるような文章なら編集者がチェックをしてくれるでしょう。しかし、こんな感じで勝手に書いている文章の場合は自己チェックをするしかない。
とても難しいです。


人様に読んでもらうのが恥ずかしい文章を書いたらそれは全て自分に返ってきます。ここの場合、検索で読みに来る人がなぜか一定数いるので、その時旬な記事や、安定してニーズがある記事には、どんなに本人が納得していなくても読みに来る人はいるんですよ。これは怖い事ですが逆にモチベーションにはなります。
恥ずかしい文章を書いた。それが読まれる。なら、恥ずかしい文章を書いたという事実は消えないけれど、次はもう少しだけでも恥ずかしくない文章を書こうという若干後ろ向きのモチベーションになります。
そして今日もまたこうやって長文を書いてみたりすると……。自分でも煮詰まってないのにね。




とつらつら書いたのですが、今思っている事を端的に書きますと……。
昨日書いた3本の感想は今週末あたりもう一度書いてみようかと今は思っています。ちょっと元気なので……。いや、書けないかも知れないし書いても1本とかかもしれない。
文章で自分の思っている事考えている事感じた事を正確に伝えるのは不可能だとは思っていますが、それでも「これでは何も伝わっていない」というのを書くとやっぱり悔しいですね。プロではなくてもね。
この文章も書こうと思っていた事の7割くらいしか書けてないよなぁ。難しいなぁ。