飼い慣らされた言葉と野生の言葉
全く整理できていないのですがふとそんなことを思ったのですよ。
2012/11/27現在で一番たとえ話がしやすいのは、もうすぐある衆議院総選挙なんですけれど、別にそれに限った話しではなく。
でも、政治家の演説なんかはそれのいい例かなと思います。
飼い慣らされた言葉と野生の言葉ってのがあるんじゃないかなぁと思うんですね。
飼い慣らされた言葉は聞いていて心地いいんですが、実は内容が無くて誰でも気軽にそれを使うことができる。
それに対して野生の言葉は決して自分にとって都合のいいことばっかり言っているわけじゃなく、不用意に聞いてしまって傷つくこともある、しかし、その言葉には飼い慣らされた言葉にはない力が有って人の心を揺さぶることができる。
もちろん、人それぞれどういう言葉にその力を感じるかは違います。野生の言葉どうしの激しいぶつかり合いも有るでしょう。しかし、飼い慣らされた言葉を聞いた時には、決してわき上がることがない感慨にさらされるんですよね。
別の分野でも同じ事が言えるんだろうなぁ。
お笑いや小説や映画だってそうなんだろうなぁ。
飼い慣らされて多くの人の好感を得ることを狙ったものはそれはそれで面白いんですけれど、そうではなくて極めて小数かもしれないけれどそれに触れた人には強烈な、それが正か負かに関わらず、強烈な印象を残すものってのはもっと面白いと思うんですよね。
あー。やっぱうまくまとまらなかった。
ここしばらくもやもやしている事がこれではまだ解決しない。