トラとハムスターはリアルでも相性悪そうだと思う第59話

まっ、ここからが本題です。
上の貶し文、八月のあの日までの俺の素の感想と大して変わりません。っていうか貶せるほどちゃんと読んでませんでしたよ。
表層的にみるといくらでも貶せるんですよね。この作品は。それが特徴の一つかも。その話強烈に既視感があるんだけど思い出せないなぁ。筒井康隆関係だとは思うんだけど・・・
では本物の感想などなど。


一ページ目。夢落ち宣言は確かに珍しいかも。まぁ単なる夢落ちでは無いとは思いましたが(笑)
二ページ目扉絵。いや、これは。。。まじで似合ってないです(笑)西沢歩さん・・・かわいそす。。。ぷらずまだっしゅ!さんの所にある、ヒナギクさんの妖精姿もハヤテ君に「似合いませんね」と突っ込まれていましたが、それ以上に・・・(笑)きっと各サイトや2chでも話題になっているんじゃ・・・
それともなんですか?おれは萌えを理解していないからですか??
ぶっちゃけその似合っていないのが狙いかと思ってたりするわけです。
サブタイトル、今日は安全な物です。ともかく長すぎ!まぁこれ見てちょいと書きたいことは増えたりしたんですがね。


前半部分のお話。シスターもどうやら「ナギの世界」の住人の様です。シスターの出身地がミコノス島で、この話を描く予定があったから読み切りを四巻にいれたのかも。じゃなかったら四月のエピソードの巻に入れるのが自然かと思います。
ナギちゃんの「レクイエムで蒸発」がわかりませんorzあとでググって見ます。つれーぜ・・・
悲鳴が聞こえてハヤテ君登場。最初の「お嬢さま」はTo西沢さん、次の「お嬢さま」はToナギちゃんですね。
でその次のはマジでわからんのですが、タマに「いいのかよ」って聞いているのは何が「いいのかよ」なんだろう???
で、またタマに痛い目に合わされる西沢さん。カワイソス。。。相性悪すぎです。


それはともかく、「ナギの世界」の住人達に土足で踏み込まれた「歩の世界」のみなさん、かわいそうです。これはもうギャグ漫画の類型。でも大金持ちがいると直せる理由を提示できるんですね。普通は翌週にはなんの説明もなく元に戻ってるんだけど。俺的には西沢さんが「ナギの世界」に取り込まれるって言う展開がなくてよかったです。まだあの10日間に書いたことは崩れていない。似合わないメイド服を着せたのはそういうことなのかなとか勝手に思っているわけです。


では、そろそろ・・・


今回の話のポイントは大きく二つあります。

  • ナギちゃんと西沢さんの家族とが出会ったという明確な描写がない。

先週妄想して泣きそうになった話ってのは、両親のいないハヤテ君、ナギちゃん、マリアさんが幸せな一般家庭を見てどう思うかって考えたからです。作中の言葉を借りると(オリジナルかどうかはしらんけど)「開けてはいけない扉を開ける」ことになるんじゃないかってこと。でもそれは明確には描写されなかった。
ただ、西沢さんの弟が「トラが」と言っていたんで会わなかったとも断言はできないですね。
今回の話を読んで、ハヤテのごとく!は西沢さん視点のラブコメとしてとらえても面白いことに気づきました。サブタイトルの「少女漫画」ってのに引っかかったんですが。いや、少女漫画自体は高校生の頃ガラスの仮面を授業中に回し読みしたのが最後の読書敬虔なんでなにもしらないですけどね・・・
ひそかに思いを寄せている男の子がいるけれど平穏無事な毎日を送っていた女子高生が、その男の子との突然の別れをきっかけに告白、その後偶然の幸運で再会、しかし違う世界に住む別の女の子がその前に立ちふさがる。それはどれで一つのテーマとしては面白そうです。長編は持たないプロットかな?
いずれにしろ、本格的に「ナギの世界」と「歩の世界」の交流が始まりました。五日目に書いたことが合っているのかどうかまだまだ答えはでないですけどね。まだ書き足りないですが次のポイントにも関わってくるので・・・


ではポイント二つ目

  • ナギちゃんが「友達」という言葉を使った

言葉のあやで・・というのはありますが「友達」とはっきり書いてあります。「ハムスター」でも字数的には全然入るスペースです。あとでバックステージを見て確認しますが、連載初期の時点でナギには三人しか友達がいないという設定だと畑さんはおっしゃってました。その時点で西沢さんが数に含まれているかはわかりませんが、もし含まれていないとすると西沢さんはナギちゃんの四人目の友達と言うことになります。
他の三人はたぶん明示されていないと思うけど、伊澄ちゃん、咲夜ちゃん、ヒナギクさんと思われます。ヒナギクさんは別の世界かもしれないので、西沢さんが別の世界にいる初めての友達と言うことではないかもしれません。
考えすぎと思う方もいるでしょうが、一巻のプロフィールでマリアさんがナギちゃんのことを「お嬢さま」と呼ばず「ナギ」と呼ぶことにこだわりを持っていて、それが読者に自然に伝わるように考えたことが書かれています。読者に伝わるかはともかくですが、畑健二郎さんは作中での互いの呼び方にはかなり気を遣っていると思われます。
西沢さんがナギちゃんをどう呼ぶかも注目していたのですが「三千院ちゃん」でしたね。ナギちゃんはめんとむかっては西沢さんを「ハムスター」と呼んでいます。なかなか微妙な関係かも。
で、最初にアップロードしてからやったことはこのからみです。家に積んであるサンデーを読み返していました。今回ナギちゃんが西沢さんを「友達」というための仕込みはいつから始まったのか???
答えはでませんでした(笑)
直接的には一緒にカラオケ行った話からだと思うんだけど、カラオケいく原因はその前から仕込まれているわけで・・・となると四巻の時点から仕込みは始まっていたりするとかおもっちゃったりするわけです。
そのあたりが七日目に書いた「この物語の重要イベントは事前に全てデザインされている」っていうところにつながるんですね。
今回のイベントを短いスパンで見ると2/1に自動的に始まるマラソン大会があって、ハヤテ君の再教育が必要になってって流れて行ってます。マラソン大会の前のイベントもその時にハヤテ君を弱らせておくためにその前の海の話があって、、でも海の話はただのマラソン大会の前ふりって訳でもなく・・・と続いていきます。
一話、あるいは数話完結のはずの漫画なのに異常に各話の関連性が高いんですよ。しかもそれぞれのイベントに派手さが無い。淡々とこなしているように見えるんです。まるで時の流れにただ身を任せているかのように。
たぶん、これって簡単そうに見えるんだけどものすごく難しいことだと思います。読者がつかなくていいなら簡単なんだろうけど各話でそれなりに読者を納得させなきゃならんですから。


最後に、おととい書いたことの補足。
世界を変えるだけのポテンシャルがあるって言う話に関連して、漫画に限らず小説でも作中で世界を変えるような人物が登場することはよくあります。でも、そういう作品って世界を変えるだけのポテンシャルは持てないように思うんですよ。作中で世界を変えるってことはその作品世界は変えなきゃいけない世界とせざるをえない。世界を変えることに多大なエネルギーが必要で変わったあとの世界を描くまで至らない。そんな例が多いように思います。
ハヤテのごとく!という作品では、作中ではたぶん世界を変えるだけの大事件は起こらないと思ってます。悪く言えば箱庭的な世界です。ただし、恐ろしく広く恐ろしく精密。この世界観こそがこれからの物語という物を変えてしまうのではないかと俺は思っているわけです。


さて、それでは他のサイトを巡回しますか。。。
おやすみなさい。