2006年すっとこどっこい一回目

家を出た直後に割引券を忘れたことに気づいて小川町行くのはやめて、直接永田町エリアに。
今年初つじ田を楽しみました。時間をつぶすために本屋に行って招集がかかるまで待機。今年も例によって例の如く赤坂の土曜日が始まりました。
みせはもちろんすっとこどっこい。流通業界の話やらスポーツの話やら政治の話を肴にして3時間あまり飲みました。おれはソフトドリンクをね(笑)
「す」のつまみは相変わらずうまい。
なんか妙に合コンっぽいグループが多かった。1/7は日本全国合コンデーに指定されたりしたんですか?なんて馬鹿なことを話してたりしたような記憶がおぼろげに。
終了間際に仕事が終わった人がやってきたりで、最初二人だったのが最大七人最終六人。この途中で人数の増減があるのが我々の飲み会の特徴です。飲み会に限らずずいぶん前に長崎に行ったときも途中で増減したくらいだから(笑)
地下鉄の終電がなくなったんで、まずJR四谷で一人落としてからそれぞれの自宅に。途中流山街道でラーメンを食いました。普通の店の普通のラーメンでおいしかったっす。


今日はこれから平塚まででかけるので書きたいことはあるけどまた夜に・・・


一生懸命書いた文章が全て綺麗に消えてしまいましたorz
コピペしなかった俺が悪いんだ!
よけいなこと書かなきゃ良かったよ。


伊勢原から海老名まで雪が舞っていました。寒い冬ですなぁ・・・


では本題二題


ピアノ・ファイア 現状の「映画論」と「マンガ論」の間
トラックバックが飛んでしまうのが申し訳ないですが、リンクを張らないのは不親切なので・・・消す手間をかけるだけでも申し訳ないです。)
こちらと、そこからのリンク先のハナログ(二段になるのでリンクは遠慮します)を読みました。
私にはわからないんですよ。わからないくせにいっぱいたくさん文章を書いているんですよ。物語論の最初に書いたように、私のベースになっているのは、推理小説筒井康隆作品だけなんですよね。非常に興味深い内容だということだけはわかるんですけど。それだけわかってもなんにもならないorz


小説は好きだけどそれほど大量に読んでいるわけでもなく、映画やドラマに至っては積極的に見ることはまずありません。だから、非常に主観的かつ感覚的な話になってしまっていることを念頭に置いてこれからの文章は読んでください。


拝見したサイトとは全く論点が違い、読者の皆様にとっては分かり切ったことなのかもしれませんが、私は表現手法それぞれを比べることに意味を感じないんですよ。
私が触れることが多いメディアでいうと、小説と漫画になるわけですが、その二つはどちらが優れているとか劣っていると言うことはなく、それぞれ特徴ある手法だと思います。もちろん表現手法が成立した時期というどうにもならない問題があるので、ある手法が他の手法を追いかけていると見えるようなことも短期的にはあるでしょう。しかし本質的にはそれぞれの手法には表現しやすい内容と表現しづらい内容があり、中には表現不可能な物にぶちあたる事になると思います。
私の小さい引き出しの中では筒井康隆作品ロートレック荘事件のあおりにあった「映像化不可能」という言葉が思い起こされます。しかし、姑獲鳥の夏が映像化された今この先どうなるか余談を許しませんが・・・


そもそも、私が漫画を読んでいたのは、小説では表現不可能な作品、小説では得られないような感動が得られる作品にいつか出会えるに違いないという思いがあったからです。そして、その結果あの作品に出会うことができました。
あの作品を論じるに当たり、実際には関係ないのですが表現手法の特性は語りたい所なんですよ。ベースがないのに我ながらチャレンジャーです(笑)


ネットでは素人がかってにごちゃごちゃいえます。でも勇気はいりますね。思いがけず専門家の目にとまってしまい完膚無きまでにたたきのめされるとか、思いがけずリアルの友人に別人格を演じていることを知られてしまうとか、心配事はたくさんあります。
しかし、あの十日間を書いてしまった以上、毒を食らわば皿まで、書く気がなくなるまでごちゃごちゃかいてみようと思います。


これで最後

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