動物化するポストモダン

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)

▽架空の杜△で紹介をされていて、読まざるを得ないと思っていたこの本、ようやく読みました。
まずは、一般的な新書としての感想です。
この本は良い本です。新書という枠組みで私が「良い本だ」と感じる場合、二種類があります。
一つはある程度自分に知識がありその知識に照らして正確なことがわかりやすく書いて
あり、かつ、自分にはない専門的な記述がある場合です。大地動乱の時代―地震学者は警告する (岩波新書)などはそのパターンです。
もう一つは、自分にはなじみがない世界をわかりやすく解説している場合です。この本はそちらにあたります。


感想を書く前にお断りがあります。
そもそもハヤテのごとく!という作品について書いてしまったことからこの本と出逢ったわけですが、この本の感想と、それとハヤテのごとく!との関わりは本来分けて考えなきゃ行けないと思ってます。まず、この本の内容を自分でどう理解したかを書いてそれを踏まえてハヤテのごとく!の場合はどうなのかということを書きたいんですね。
かるーい気持ちで書いた感想が著者の目に触れてしまうというこわーい経験をしたばかりなので、まずこの本のちゃんとした感想を書きたいんです。
でも、それをやるにはあの十日間並のパワーが必要だと感じています。。
創作への感想ではなく、評論思想への感想は簡単に書くのが難しいですね。私が書く感想文を読んでいる方は気づいているかもしれないけど、私は作中のある一点を切り出してそこを膨らませるという書き方することが多いです。評論思想ではそれをやるのが難しい。


今日は最初の感想と言うことで、この本の感想とそれをうけてハヤテはどうなのよという話をごっちゃにして語ります。間違いも多いだろうし理解し切れていない部分はたくさんあると思われます。
さらにハヤテについて絡めると言ってもそれ自体に二種類あって困っています。一つはこの作品が商業的にあり得ないくらいの成功をするという予想。もう一つは以降に生み出される作品に多大な影響を与えるであろうという予想です。今回の話は後者の方についてのみ言及したいのですが、書いているうちにこれもごっちゃになってしまうかもしれません。




いいわけも終わったことですし内容に入ります(笑)


まず、私がよく使っている「物語の消費者」という言葉とこの本に書かれている「物語の消費」という言葉の意味は恐らく違います。私が言っているこの言葉の出典は筒井康隆氏の「読者罵倒」。このままの言葉だったかどうかは自信がないんですがこのニュアンスはここが出所です。手軽な感動をむさぼる読者という様な意味です。
動物化するポストモダンで出典とされている本は読んでいません。読みたいところですがパンクしそうなのでしばらく間をおかないと・・・
私の言っている意味では、この本に登場する「物語消費」と「データベース消費」とはあまり差がないです。いずれも消費をすることに読者の主たる目的があるという点では変わりないのかなぁと感じてます。


ハヤテのごとく!を読み進めているうちに、物語から得られる感動というのは「時の流れ」に大きき依存しているのではないかという着想に達しました。(十日目参照)それがいかに演出されているかというのが物語の印象というのを決めるのかなと感じています。
ハリー・ポッターのようにある一つの目標が序盤で提示され、それを追い求める過程を描くことが一番多いと感じています(漫画でもこのモチーフは多用されています)。しかしどうもハヤテのごとく!では違う。この作品では時の流れ自体が作品の主要なテーマとなっているのではないかと感じています。同じように見えて違う。根本的に考え方が違うように思えてしょうがないのです。


寄り道しましたが、次に「ツリー型」と「データベース型」についてです。
▽架空の杜△でこの言葉が紹介されたときに、ハヤテのごとく!がデータベース型であるということには同意すると書いたのですが、その時字面から感じていた「データベース型」とこの本を読んで認識したその言葉のニュアンスが微妙に違っています。
データベースとツリーは相反する概念ではなく、ツリー型データベースとか言うわけのわからんもの(でも実際には未だ多用されている)もあったりするわけですが、その話はおいといて・・・
私はデータベースから抽出するというイメージではなかったですね。Insert、Update、Delete、Selectの全ての操作を行うイメージでした。どうもこの本で前提としているデータベースはSelectとInsertのみに対応しているような印象を持っています。UpdateとDeleteの権限はこのモデルでも神である作者のみが持っているのかなぁと。
まぁそれはともかくとして・・・
ハヤテのごとく!という作品では、そのデータベースが構築される過程が描かれているように思えます。無から有を生み出す過程を我々読者は目撃しているのではないかと思われてしかたないのですよ。
この物語が始まる前に張られている伏線が多数あることは示唆されていますが、それよりも作中で起こるイベントによってデータベースの中身がどんどん変わっていくのではないかという期待感が大きいですね。私が二次創作の一種であるアニメ化やゲーム化が難しいのではないかと感じている理由は恐らくそこにあると思います。二次創作はその作品世界を逸脱しない範囲で抜き出して作られるものらしいので、その作品世界が固まっていないと難しいのではないかと思うんですよ。そして固まるのはこの作品の場合唯一絶対のエンディング「トゥルーエンド」を経験したときだと思うのですよ。
そういう意味では、強固なツリー構造から構築されたデータベース型の物語なのかも。


寄り道の部分に話がもどるのですが、ハヤテのごとく!のデータベースは時系列でどんどん中身が変わっていきます。Insertだけではなく、Update・Deleteも起こります。言い換えると格納されている要素の追加はもちろん、パラメータの更新、削除が頻繁に起こると思ってます。そして削除されたということも履歴に残っていて、もしかするとあるイベントがおきると復活するような仕掛けが用意されているのではないかと感じています。


結局、ハヤテのごとく!はどうなのよ、という話ですけど結論は出てません。ツリー型で分析するのが正しいのかデータベース型とみるのが正しいのか。
私が思うにそのどちらも正しくないのでないかと。ツリー型という古い概念、データベース型という新しい概念、そのどちらの概念からも逸脱しているのではないかと。畑健二郎さんは概念から出発してこの作品を描いているわけではないと思うのですが、期せずして既存の言葉では分類不能の新しい概念を作り出していると思えてなりません。


私自身はこの本での分類によると第二世代の最後のオタクです。まぁオタクといってもアニメや漫画より鉄道・地図・車がメインなので感性はそれほど鋭くないと思っているわけですが・・・畑さんやハヤテのごとく!のメインの読者はおそらく第三世代だと思います。でもハヤテのごとく!は第二世代からも支持を得ています。第二世代、第三世代の両方からある程度の支持を得られる物語。もしかするとそれは後世第四世代という時代の始まりだったと言われるようになるのかもしれませんよ。そして、それはオタクという枠、日本という枠ではなくさらに大きな世界で語られる言葉になるのかもしれませんよ。


まとまりはないですが、今日はこの辺で。。


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