常磐線

こんな風にだらだらと日記を書いているわけですが実はそろそろ「不惑」という年を迎えることになるわけだったりします。
しかし、、、人生惑いっぱなしです。
こんなことでいいんでしょうか?まぁ生きていればそのうちいいこともあるだろうな。
冬は雪山行きまくって夏は夏山行きまくって春と秋はキャンプに行きまくる生活をしてみたいものです。
無理!!


今日は地元の本屋に寄りました。そういや、JRのダイヤ改正だなぁと思って。で、JTBの時刻表を買おうとしたんですが、改正後の時刻が出ているのは予約が必要な列車だけ。買うのやめました。常磐線ダイヤ改正データイムの本数を減らすとかいう話があったので、それが出ていないんじゃ意味がない。


地元の本屋の時刻表コーナーにPOPが立ってました。エメグリ(エメラルドグリーンのこと)の103系常磐快速の写真です。
なんでも、今回のダイヤ改正で引退だとか。お疲れ様でした。ほかの路線よりよけいにモーター回しているでしょうからねぇ。


高校生の時町屋から松戸市内に引っ越して常磐線とご縁ができました。まず驚いたのは夕方六時過ぎると開いている店が極端に少なくなること。そして、駅前に畑、通学経路に畑、家の前に畑。そして、冬は大雪、夏は洪水。いやぁえらいところに引っ越してきたなと。
常磐線と全然関係ないですね(笑)
それはともかく、私は千代田線直通の常磐緩行線で通学していたのですが、常磐快速はあこがれてました。松戸〜北松戸は結構距離あるからそんなことはなかったんですが、たまに柏に行くと、柏〜南柏で、緩行線が駅に止まるために減速しているのに快速はまだ加速をしているんですよ。気合い入ってます。
あのモーター音。ギャーンという頭文字Dも顔負けの音!冬、北西の季節風が吹くと一山越えて私の家まで聞こえてきます。
当時、103系の快速と、403系415系中距離電車は停車駅が違いました。で、地元では赤電、青電と呼んでいました。さらに上野行き上り時刻表にも工夫がしてありました。中電のほうには「M」と書いてありました。それって列車番号ですよ・・・住んでいる人みんなてっちゃんなんですか?


バブルの頃、朝の松戸駅吉野家などめじゃないくらい殺伐としていました。柏から学校に通っていた友人が「松戸のやつらはもう乗れないところに20人以上乗ってくる」と評していました。彼は電車の中で傘を折られた経験があります。骨じゃなくてよかったね。
昔作った替え歌「常磐線の歌」の時代背景はそのあたりです。


当時、緩行も十分混んでいましたが快速に比べると天国でしたよ。だって乗れるんだもん。快速乗れないから。
そういえば、そのころ日本最長と思われる行列も目にしました。千代田線が止まったときだったと思います。緩行が綾瀬〜我孫子の折り返しになって、綾瀬・亀有・金町の皆様が松戸から快速に乗らないと東京に行けなくなっていました。
まぁしょうがないんで私も緩行に乗って松戸駅に行ってみたわけです。すると・・・
駅の前後にある歩道橋を使って行列が一周していましたorz
ありえねぇー!!
確かその日は東京に行くのをあきらめたはずです(笑)松戸から歩いて家まで戻ったかも。今は知恵がついて、新松戸か幸谷まで行って武蔵野線で西船経由で東京に行きますが。当時は学生だったからねぇ。


そんなひどい状態だった常磐快速がある日突然空きました。理由は簡単、10両編成から15両編成になった。その前に中電がMax12両から15両になったわけですが、その後無理矢理南千住と三河島のホームを延長して快速も輸送力1.5倍!
劇的に変わりました。
その時実際にあった編成が、15両中モーター付きが12両、やかましいのなんの!実際にはモーターをカットした車両もあったらしいですけどね。
その後さらに松戸駅のホームを安全な状態にするために、朝の緩行上りを下り側のホームを使うように変えたりしています。いろいろ工夫はしています。
まぁそんないろいろな思い出がある常磐線ですが、130Km/h運転をしていて関東では最も速い通勤電車の一つになっていますね。
そんななかがんばりにがんばって100Km/hちょいしか出ない103系が引退。やむを得ないですがそれも時代なのでしょう。今回のダイヤ改正で、北千住〜松戸と松戸〜柏9分それぞれかかっていたのが短縮されるのでしょうか。今でも十分速いけれど・・・


今日は珍しく鉄分の濃い話でした。たまにはこういうのもいいかな?


ではまた明日。

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