ヒナ祭り 桂ヒナギクのポジション



今日は三月三日。作中で設定されている桂ヒナギクさんの誕生日です。
普段、ハヤテのごとく!についていろいろ吐きそうになるほどの長文を書いているけれど、あまり登場人物一人一人のことは書いていないと思います。しかし今日はこの機会にちょっと挑戦してみようかと思っています。


そもそも、俺自身漫画でも小説でも登場人物(キャラ)に感情移入することがなかなかできないんですね。されにハヤテのごとく!という物語では登場人物が記号化を越えて数値化されているところに注目しているので、一話一話の感想を書くときはともかく、こうやってまとまった文章を書こうとするとなかなか一人を深く書くって事は難しいっすね。


そんな中で、今日誕生日を迎えるヒナギクさんは比較的書きやすいかなと思っています。




さて、まずは彼女のこの作品の中でのポジションを考えてみましょう。


彼女は高校一年生でありながら、主人公のハヤテ君、ヒロインのナギちゃんが通う名門白鳳学院の生徒会長をしています。剣道部に所属、成績も良い。まさに文武両道。「女にしておくのはもったいない」ような設定です。
当然のように男性から、そして女性からも一種の憧れの対象となっています。単行本表紙裏では、ヒロインナギの存在を脅かすような存在ではないかとさえ書かれています。


そのポジションは決して持って生まれた能力、性格だけで築き上げられた物ではなく、子供の頃からのたゆまぬ努力の結晶という設定です。


しかし、彼女は幸福な人生を歩んできたわけではありません。子供の頃、ハヤテ君同様に親に借金を押しつけられ捨てられています。その裏設定は四巻のプロフィールに記載されていて、また、第三十五話(四巻四話)のエピソードで示唆をされています。「ヒナ」を見捨てる親鳥に涙するという部分です。ぷらずまだっしゅ!によると、この部分の絵は単行本化の際に修正が入っているとのことです。作者にとっては思い入れがあるシーンなんでしょうか。


親に捨てられたヒナギクさんですが、プロフィールによると姉で現在白鳳学院の世界史教師をしている雪路の活躍で借金を返済し、現在は義理の両親の元で暮らしています。彼女は現在幸せなのかどうか、それはまだ作中などで描かれてはいません。別の作品で描かれる予定だったそのお話は今後本編で描かれることになると思われます


ほとんど弱点らしい弱点が見あたらないヒナギクさんですが、そこは漫画の登場人物のお約束、わかりやすい苦手な物が用意されています。それは「高いところ」。第三十五話(四巻四話)での印象的な初登場の際にその設定が使われています。また幽霊などもあまり得意ではないようです。




話が進むに連れ、彼女の内面が徐々に明らかになってきてます。初登場時からしばらくの間は、完全無欠、しかもかわいい(きれいと言った方がよいか)学園のアイドル的な存在として描かれていましたが、今では実はかなり強引、かつボーイッシュな少女としての側面が強調されています。姉の雪路が自分の欲望のためには手段を選ばず、何があっても動じないような人物として描かれていますが、実はヒナギクさんもそういう一面がある。そして、それを押さえているというところが一種の魅力になっていると感じています。
女の子から惚れられてしまうような、男性的な、親分肌ともいえるような側面、なのに同様な設定と思われる咲夜ちゃんとは違う女の子らしいビジュアル(服は咲夜ちゃんの方が女の子らしいですが)。それすらも実はヒナギクさん本人の努力によって生み出されている物なのではないかと思ってしまいます。


ここで「ハヤテのごとく!」という作中での彼女のポジションを考えてみます。数多いファンの方には申し訳ないですが、彼女は主要登場人物ではあるけれど最重要登場人物からは漏れると考えています。
俺が最重要登場人物と考えているのは四人、ハヤテ君、ナギちゃん、マリアさん、そして西沢さんです。そもそもハヤテのごとく!というのはその四人の物語で、それを漫画として成功させるため、また、話をドライブするために他の登場人物をそれぞれの役割を果たすために配置したと考えています。
四巻の登場人物プロフィールを見ると非常にわかりやすい。ヒナギクさん、雪路の桂姉妹はそもそも別の物語の主人公とヒロイン(両方女性だけどなんかそう考えた方がわかりやすそう)であった、逆に西沢さんは当初から「お嬢様のライバル」としてデザインされていた。だからヒナギクさんはあくまでも脇役と思っています。


とはいえ、彼女はただの脇役ではありません。それなりに重要な役割を果たす脇役だと思っています。
畑健二郎さんの当初考えた物語の流れ、それは不動なんじゃないかなと思っています。しかし、その流れを自然に読者に伝えるには、重要登場人物以外にもいろいろな役割を持つキャラクターが必要になります。そういうキャラクターをその局面局面で使い捨てにするという考え方もあるでしょうか、ハヤテのごとく!という作品では基本的にそういうことはしないのではないか、したくないのではないかと考えています。ハヤテ君を追う怖いおにーさまたち、彼らがその後再登場したときにはほんと驚きました。普通冒頭の話が終わったら彼らは退場するんですよね。必要ないもん!


この作品では登場人物の「退場」というのは最後まで無いと読んでいます。しかし、確実に最後の最後まで描かれるのは上に挙げた最重要人物四人だけかもしれません。


ヒナギクさんから話がそれました。
あと二つの話題を取り上げて終わりにしましょう。



多くの人がいろいろな事を感じた四巻の中扉。俺も今現在ハヤテのごとく!最高の1ページだと思っています。
あの1ページから人はいろいろなことを感じると思います。桂姉妹の関係、今に至る人生、それぞれ受け取り方は違うと思いますが、いろいろなことを感じることができる。
そして前述したプロフィールで開かされたハヤテのごとく!以前の物語があります。おそらくヒナギクさんの物語と言うよりも雪路の物語でしょう。しかし今のヒナギクさんがどうしてこうなっているのか、そのことを読み解くためには必要なお話なのではないかと思っています。
さて、今のところハヤテのごとく!以前の物語は、いわゆる「裏設定」的な物として存在しています。読者の中にはハヤテのごとく!のすごさの一つとして「裏設定」の緻密さを挙げる方もいらっしゃると思います。
しかし、俺は裏設定のすごさはさほどたいしたこと無いと思ってます。それだったら俺が途中まで読だネギま!の方がよっぽどすごいと・・・
各方面に喧嘩を売りそうな物言いなんですが、「裏設定」はあくまでも「裏設定」でしかないんですよ。そこには謎解き的な面白さはあるんだけど物語としてのすごみは感じないんですよね。いや、ないよりはあった方が全然いいんですよ。もちろん。
俺はハヤテのごとく!以前の物語はすごく読みたい。でもそれがなくてもハヤテのごとく!という作品は成立します。タマがなぜしゃべれるのか、それが明らかにならなくても話は進むように・・・
ハヤテのごとく!という作品のすごみは設定にあるのではありません。物語にあるのです。設定、裏設定に感銘しただけだったらここまでは入れ込みませんよ。普通に好きな作品の一つになっただけ。発売当日に単行本を手に入れようと頑張ったりはしていませんって。


とはいえ、ただでさえ、普通にやっていればすごい話になるのに裏設定も緻密である。まぁそれも魅力の一つと認めざるを得ませんね。



  • 第66話「St.Valentine's Day SIDE:CLASSMATE"Shining☆Days"」、バレンタイン話前半について。

ハヤテのごとく!という物語を支配しているのは切なさだと感じています。そのなかで、今のところこの話は最も切ないお話です。
西沢さんの切ない恋物語というのはこの作品の幹の一つなのでまだいい、しかしヒナギクさんの切なさには参りました。彼女は努力で今の人望を集めています。しかしそのためには自己犠牲が伴っていたのでしょう。自分を殺して人のために尽くす。そしてそれを「正しい選択」だったと自分自身に納得させる。それを繰り返して今のヒナギクさんがあるのでしょうか。
この話の感想で、かつてヒナギクさんがハヤテ君に対して言った

  • 少しくらいワガママ言わないと…幸せつかみそこねるわよ。

というセリフ。ぷらずまだっしゅ!calm様ならずとも、この言葉を今度はヒナギクさんにかけてあげたいと思ったでしょう。ええ。俺ももちろんそう思いました。
そして、自分の書いた感想の中で、この言葉はそもそも姉が妹に書けた言葉なのではないかと書きました。
俺にはあの言葉が少なくともヒナギクさん自身の言葉では無いという確信が今ではあります。なぜか?
四巻の帯を見てください。裏表紙側の方。ポストカードプレゼント企画が書いてありますね。ええ、申し込めませんでしたよ。この年じゃ恥ずかしくて、、俺はへたれです。
まぁそれはともかく・・・
プレゼントされるポストカードには8人の登場人物と、それぞれが四巻までの作中で使った印象的なセリフが書かれています。
俺が読む限り今までヒナギクさんに与えられたセリフで一番印象的なのは

  • 少しくらいワガママ言わないと…幸せつかみそこねるわよ。

なんですよ。
ところが、ポストカードに書かれているのは違う言葉です。

  • 大丈夫よ。その生徒会の会長は私だから。

おかしい!


ハヤテのごとく!という作品、あるいはプロジェクトと言った方がよいかもしれませんが、それはものすごく緻密に組み上げられています。だからポストカードに使われた言葉というのも何らかのヒントとして考えるべきであると思っています。作者はもちろん、編集、出版サイドもそこまで考えているんですよ。そう考えるとやはりあの言葉は、他の誰か、おそらく姉からヒナギクさん自身に対して投げかけられた言葉であると考えたほうが自然かなぁなんて考えています。


第66話の切なさは、この作品終盤に感じるであろう「諸行無常」という言葉で表現できるような切なさとはちょっと違います。しかしこういう話を積み上げることによって、2006/2/9に書いたような、読者の「切なさへの耐性」をあげようとしているのかもしれませんね。
俺みたいに切なさへの耐性が無い人がただのお笑い漫画、萌え漫画だと思ってこの作品を読んでいると、おそらくラストシーンでぶっ壊れちゃいますから・・・






とりあえずこんな感じで書いてみました。早く七巻発売されないかなぁ・・・バレンタイン話単行本で続けて読みたいよ。
ああ、忘れていた。誕生日おめでとうございまし「た」。



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