四回目 細分化される興味



僕が初めて2ちゃんねるを見た時期がWikipediaで推測できた。
2ちゃんねるの歴史
そもそものきっかけは東芝事件で、その年の夏にあった出来事はしっているわけだから、1999の7月か8月のどこかになる。


当時と今とで一番違うところはどこか。もちろんレスの中の言葉や雰囲気も違う。しかし一番違うのは板の多さである。極端に細分化されているのだ。
当時のスクリーンショットは見つからなかったが、一覧は2ちゃんねるの歩みにあった。ぱっと見てものすごく少ないことはわかるであろう。確か一ページに十分収まるサイズだった。


板が分かれる理由は基本的には管理人ひろゆき氏が分けたかったからということになるが、そこに至るまでには
・要望があった
・アラシを隔離
・スレ乱立
などの理由がある。


驚くべき事にこの運営でうまくいってしまっているのだ。板を分ければ分割後の板に住民が素直に誘導されている(もちろん例外もある)。ネットの匿名掲示板などというものは無法地帯であり、書いている人は基本的には運営側の意図は気にせず書いているはずである。ということは板を分割してそちらに人が自然と動くというのは、住民自体が分割を望んでいたからに他ならない。自分と比較的興味範囲が似通っているどこの誰だか分からない人々とのやりとりを楽しみたいというニーズがあったということになる。
僕なんかはむしろ自分とは違う興味を持つ人々と話をしたいと思ってしまうたちなのであるが(もちろん議論などできるはずもなくひたすら聞き役に回ってしまう)、たしかに同じ興味を共有する人と過ごす時間というのは居心地がいいものであろう。碁会所みたいなものである(いったこと無いけど)。
板を細分化することによって、その板にぶら下がるスレもさらに細分化されることになる。板の住民だけでなくスレの住民も発生する(今の僕はまさにそうだ)。そうなるとそこは「2ちゃんねる」としてひとくくりで語れる物ではなくなってくる。2ちゃんねるでもXX板のYYスレ住人という属性になる。
なのに、いざとなると「名無しさん」としての共通意識を持つことがある。本当に不思議だ。2ちゃんねるというテーマパークで、それぞれのアトラクションにリピーターがいる。複数のアトラクションを掛け持ちする人もいるけれど、一つのアトラクションにしか興味を持たない人もいる。それでもそのテーマパークで遊んでいるという共通意識を持っている。
うまいこと結論を導き出せないが、そういうことなのかと思っている。




うまくない。次回辺りで終わりにしようか・・・